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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

【1948年8月17日】プロ野球初のナイター開催も暗くてボールが見えづらく、ハプニングが連発

 

日本のプロ野球初のナイトゲームが横浜ゲーリック球場で開催され、あまりの珍しさに2万人の観客が詰め掛けたという


大学野球の初ナイターから15年


 日本の野球史において、初めて夜間試合、いわゆるナイターが行われたのは1933年7月10日である。場所は戸塚球場(のちに安部球場に改称)。早大の新人対二軍という組み合わせだった。場内を照らしたのは、早大創立50周年記念事業として設置された内外野合わせて6基の照明塔。工期は約2カ月で、総工費は当時の金額で6万円と言われる。

 その照度は、内野が500ルクスで、外野が300ルクス。令和の甲子園球場が内野2500ルクス、外野1500ルクスであることを考えると、今と比べてはるかに暗かったのが分かる。打つにせよ守るにせよボールが見えづらく、選手たちは対応に苦慮した。観客席からも「暗くて顔が分からねぇ! 名を名乗れ!」とヤジが飛び、爆笑が起きたという。なお試合は、二軍が大勝している。

 48年8月17日の夜、巨人中日の11回戦が開催される横浜ゲーリック球場(のち横浜公園平和野球場)は、2万人の観客で膨れ上がった。その盛況ぶりは、グラウンド内に特設のシートが作られるほどだった。プロ野球の試合が夜間にこれほどの盛り上がりを見せたことは、かつて一度もなかった。それも当然だった。アマチュア野球に遅れること15年。この日の一戦が、プロ野球初のナイターだったからである。

 球場には、接収中の進駐軍によって照明塔が設置されていた。ただし、あくまで兵士たちの娯楽用の設備であり、本格的なものではなかった。照明塔は計8基で、1基あたり500Wの電球が98個取り付けられていた。ちなみに戸塚球場の照明塔は、1基あたりの500W電球が156個というから、全体の照度は同程度だったと推測できる。

 それでもこの日の観客には、いつもと雰囲気の異なる球場が魅惑的に見えたようだ。観戦した若原正蔵(元早大投手。33年7月10日の試合にも登板)は・・・

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