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【1992年9月13日】決勝アーチも、お立ち台拒否。「孤高の天才」が悔し涙を流した理由とは

 

1対1の同点で迎えた8回表一死一塁で、広島・三番の前田智徳が勝ち越しの2ラン本塁打を放ってホームイン。しかし、笑顔はなく、表情は固いままだった[左は阿部慶二コーチ、右は巨人・吉原]


落合も認めた若き打撃職人


 1990年の春季キャンプ中、二軍を視察した広島の山本浩二監督の目に、ある選手が止まった。ユニフォームの着こなしが美しかったからだ。続いて、その選手のバッティング練習が始まると、山本は驚いた。教科書に載るような見事な打撃フォームだった。技術的に教えることは何もない。こういう子を天才と言うんだな……。通算536本塁打の「ミスター赤ヘル」を嘆息させた男。熊本工高からドラフト4位で入団したばかりの前田智徳だった。

 91年4月6日、ヤクルトとの開幕戦(広島)で、前田は一番に抜てきされた。結果はすぐに出た。初回に先頭打者ホームラン(プロ入り第1号)を放ったのである。その後もスタメンで起用され続けた前田は規定打席に到達し、打率.271をマークした。俊足と強肩を生かしたセンターの守備もよく、外野手としては史上最年少でゴールデン・グラブ賞を受賞している。この年、リーグを制した広島にあって、20歳の前田は攻守にわたり躍動を見せたのだった。

「今の野球では『明るくやる』というのが主流です。自分はどうしてもそういうタイプではありません。野球の技を先行させながら目立っていきたいという昔型の人間です」

 前田がそう語ったのは21歳のときである。その言葉どおり、前田は極めてストイックな打者だった。求めるのは、最高の一打。天性の素質だけに頼らず、深夜まで打撃練習に取り組む前田には、若くして独特のオーラが漂っていた。先輩選手ですら気軽に声を掛けることができなかったという。

「俺がプロ野球で唯一認めるバッターだよ。あいつはすごい」と前田を評したのは・・・

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