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【1989年10月12日】前年から続く「近鉄物語」のクライマックスを呼んだ驚異の4打数連続アーチ

 

西武とのダブルヘッダーで4打数連続本塁打を放ったブライアント。第1試合では3打席連続本塁打で近鉄の全6打点を叩き出した


「獲れ。わしが直す」中西太のひと言


 1988年6月7日、近鉄に激震が走った。主砲のリチャード・デービスが、大麻取締法違反で逮捕されたのである(同月27日解雇)。首脳陣は頭を抱えた。新たな外国人選手を補強しようにも、獲得期限の6月30日(当時)まで時間がなさ過ぎた。

 そのため国内に目を向けた近鉄は、1人の男を見つける。中日のラルフ・ブライアント。外国人枠の都合で一軍に昇格できず、二軍に据え置かれていた27歳の左打者だった。

 ブライアントには問題があった。天性の長打力を備えていたが、一方でバッティングが粗く、三振も多かったのである。それでも、近鉄監督の仰木彬とともに二軍戦でブライアントを視察した中西太打撃コーチは言った。「獲れ。わしが直す」。

 こうして6月27日、ブライアントは金銭トレードで近鉄に移籍した。中西は、ブライアントに対して過度のアッパースイングを戒め、シャープに振り抜く打撃を熱心に指導した。余計なことは一切言わなかった。

 結果は、すぐに出た。最初の5試合で勝利打点4を挙げたブライアントは、それまで出番がなかった鬱憤(うっぷん)を晴らすかのようにその後も打ちまくった。ホームラン数は急角度で増えていく。当然のように三振も量産したが、仰木は繰り返し励ました。

「三振なんか気にするな。思い切り振ってこい」

 そして驚異的な数字が残った。74試合で34本塁打。もしも全試合(当時は130試合制)に出場していたら、その数は・・・

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