
西武とのダブルヘッダーで4打数連続本塁打を放ったブライアント。第1試合では3打席連続本塁打で近鉄の全6打点を叩き出した
「獲れ。わしが直す」中西太のひと言
1988年6月7日、近鉄に激震が走った。主砲の
リチャード・デービスが、大麻取締法違反で逮捕されたのである(同月27日解雇)。首脳陣は頭を抱えた。新たな外国人選手を補強しようにも、獲得期限の6月30日(当時)まで時間がなさ過ぎた。
そのため国内に目を向けた近鉄は、1人の男を見つける。
中日のラルフ・ブライアント。外国人枠の都合で一軍に昇格できず、二軍に据え置かれていた27歳の左打者だった。
ブライアントには問題があった。天性の長打力を備えていたが、一方でバッティングが粗く、三振も多かったのである。それでも、近鉄監督の
仰木彬とともに二軍戦でブライアントを視察した
中西太打撃コーチは言った。「獲れ。わしが直す」。
こうして6月27日、ブライアントは金銭トレードで近鉄に移籍した。中西は、ブライアントに対して過度のアッパースイングを戒め、シャープに振り抜く打撃を熱心に指導した。余計なことは一切言わなかった。
結果は、すぐに出た。最初の5試合で勝利打点4を挙げたブライアントは、それまで出番がなかった鬱憤(うっぷん)を晴らすかのようにその後も打ちまくった。ホームラン数は急角度で増えていく。当然のように三振も量産したが、仰木は繰り返し励ました。
「三振なんか気にするな。思い切り振ってこい」
そして驚異的な数字が残った。74試合で34本塁打。もしも全試合(当時は130試合制)に出場していたら、その数は・・・
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