
大杉の本塁打判定を巡り、審判団に猛抗議する上田監督[中央]。判定は覆らず、試合中断は1時間19分に及んだ
黄金時代の阪急と初優勝のヤクルト
1978年の日本シリーズは、阪急(現
オリックス)対
ヤクルトという組み合わせとなった。75年から3年連続で日本一に輝いていた阪急は黄金時代のただ中にあり、戦前の下馬評は、阪急有利の呼び声が高かった。これがシリーズ初出場となるヤクルトの中にも「4連敗だけは避けたい」と弱音を吐く選手がいたほどだった。
だがシリーズが幕を開けると、クールな知将・
広岡達朗に率いられたヤクルトは、予想を覆す戦いぶりを見せた。6戦が終了した時点で3勝3敗。決着は、最終戦となる第7戦に持ち込まれた。
10月22日、後楽園球場。阪急の先発マウンドに立ったのは、38歳のアンダースロー・
足立光宏だった。足立は、2年前にも同じ状況で投げていた。76年、
巨人との日本シリーズで、阪急は3連勝から3連敗を喫し、逆王手をかけられた。勢いは巨人にあったが、ベテランは動じずに淡々と投げ続け、完投で阪急に日本一をもたらしていた。
78年、左膝の半月板が損傷していた足立は、シーズンわずか4勝に終わった。それでもベテランは、第3戦(10月17日=西宮)で被安打3の完封勝利を挙げた。日本シリーズでの勝負強さは健在だった。第7戦も4回までに5本の安打を浴びながら、足立は要所を締めて無失点投球を続けた。
相手の弱点を攻めるのは、戦術の基本である。この場合は足立の「足」だった。5回裏、ヤクルトの先頭打者・
大矢明彦が一塁側へプッシュバントを仕掛けた。それまでもヤクルト打線に散々バントの構えを見せられ、ダッシュを繰り返していた足立の一塁カバーが遅れた。犠打で走者二塁になったあと、
デーブ・ヒルトンが左前適時打を記録し、ヤクルトが1点を先制した。
そして試合は、今なお語り継がれる「そのとき」を迎える・・・
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