
連勝中のNYジャイアンツを相手に力投した巨人・大友工。写真はその試合と限らないが、この年の大友
異色の新人が巨人の柱に
「君の球はサイドにすると、もっと切れる。日本一の投手になれるかもしれんな」
二軍視察中の巨人監督・
三原修(のち脩)が、スリークオーター気味のフォームで投げる24歳の新人右腕・大友工の横でそうつぶやいたのは、1949年のある日のことだった。何を言っているのだろうと思った大友は、そのときは聞き流したという。
だが「魔術師」三原は、やはり慧眼(けいがん)の持ち主だったと言えるだろう。試行錯誤を繰り返しながら、大友の腕は徐々に下がっていった。それがアンダーに近いサイドスローに落ち着いたとき、彼は巨人の主力投手になっていたからである。
大友は特異な経歴を持つプロ野球選手である。旧制中学(現在の高校)には進まず、大阪逓信(ていしん)講習所で電信技術を学んだ。本格的な野球とは無縁だった。戦後は但馬(たじま)貨物の野球部に所属するも、握っていたのは軟式球。球の速さを見込まれて巨人の入団テストを受けるまで、硬式球を投げたことはなかった。無事合格こそしたものの、当初は球の重さに戸惑い、キャッチボールすらままならなかったという。
それでも
藤本英雄、
別所毅彦ら先輩投手のアドバイスを受け、猛練習を積んだ大友は、投球フォームの改造もあって徐々に頭角を現していく。入団3年目の51年には11勝、52年には17勝を挙げた。同年7月26日の松竹戦(大阪)では、ノーヒットノーランを達成している。
大友の右手には特徴があった。中指が・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン