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【90's ファイターズの記憶】「ビックバン」消滅で歴史的V逸 8ゲーム差をつけ首位ターンも後半大失速

 

1990年代、日本ハムはシーズン毎の浮き沈みが激しかった。それでも2位に3度食い込み、優勝争いを繰り広げる。もっともリーグ制覇に近づいたのが、上田利治監督が指揮した1998年で、ぶっちぎりの首位独走で前半戦をターン。Vを疑う者はいなかったのだが……。
構成=滝川和臣 写真=BBM

10月2日、西武とのダブルヘッダーで2連敗。ベンチには重苦しい空気が流れる


93年、96年に2位 3度目の正直でV快走


 1981年のパ・リーグ制覇から日本ハムは優勝から遠ざかっていた。80年代後半にはBクラスが定位置となり、低迷期に直面する。それでも90年代の幕が開けると、前回の優勝を知る大沢啓二監督や、阪急の黄金時代を築いた上田利治監督の指揮の下、チームは優勝争いに絡んだ。

 1年限りで退団した土橋正幸監督に代わり、「これが最後の奉公」と大沢監督が2度目の指揮官に復帰した93年が最初の躍進だった。4月下旬の6連勝で首位に立つと、その後、一旦は明け渡すも6月に5連勝、7月にも4連勝があり8月末には首位に返り咲いた。だが、自力に勝る西武にあと一歩及ばずに2位に終わった。

 再び優勝に近づいたのが96年だった。上田監督2年目のこの年、序盤から首位に浮上。ライバルと見なされていた西武が調子に乗れないこともあり、15年ぶりのリーグ優勝が現実味を帯びた。しかし西武に代わって日本ハムの前に立ちはだかったのが、前年の阪神大震災からの復興を合言葉に一丸となるオリックスだった。8月下旬、オリックスが4連勝したのに対して、日本ハムは5連敗。これで首位が入れ替わった。9月に上田監督が「家庭の事情」で途中休養すると、その10日後、直接対決に敗れてオリックスの優勝が決まった。

 93年と96年は西武、オリックスと接戦の末、シーズン終盤に競り負けたが、98年に巡ってきたチャンスでは、「3度目の正直」とばかりに17年ぶりの歓喜に向けて独走態勢を築くことに成功する。

破竹の勢いで首位をひた走る


 98年、快進撃の道筋をつくったのが、開幕戦の先発に指名された岩本勉だった。西武を4安打に抑えて完封勝利。前身のセネタース以来、球団史上初の開幕戦完封となった。チームは4月を10勝8敗で粘ると、5月に本領発揮。4連勝で96年以来の首位に立った。5月に入っても勢いは衰えず、15日から23日にかけて7連勝で好調を維持。6月には再び7連勝、一時近鉄に首位を譲ったが、すぐに首位に返り咲くと6月末からじわじわと2位との差を広げていった。

球団史上初の開幕戦完封勝利をやってのけた岩本を上田監督が笑顔で迎える


 躍進の原動力は田中幸雄をリードオフマンに、片岡篤史ジェリー・ブルックスナイジェル・ウィルソン西浦克拓を主軸とした攻撃陣だった。7月3日には一般公募していた強力打線のニックネームに「ビックバン打線」を採用。手薄な投手陣を少しでも援護するために重量級を並べた打線は、上田監督の予想をはるかに上回る破壊力見せた。「これほどの攻撃力は見たことがない」と百戦錬磨の指揮官をうならせた。特に田中幸雄は前半戦、本塁打王を狙う勢いで打ちまくった。「点を取られても取り返せるという自信がチームにある。今年は運がついている。93年、96年と優勝争いをしていますが、あのときと違って打線がいい」とチーム内にも勢いが満ちあふれていた。

 エース・西崎幸広が西武に移籍し、経験不足のため不安視された投手陣もビックバン打線によって成長を促された。6月までに岩本が7勝4敗、先発ローテ入りした関根裕之が6勝。芝草宇宙が4完投で5勝。中継ぎスタートだった金村暁も6月途中から先発に加わり、無傷の4勝。抑えの新外国人シュールストロムも6勝5セーブと頼もしかった。

 6月28日からチームは18年ぶりの3試合連続の完封勝ち。そこから5連勝。前半最後の近鉄戦も3連勝でしめくくり、7月20日には貯金21、2位・西武とのゲーム差は8で前半戦をターン。誰もが「今年こそ」の気持ちを持ちながら、2年前の苦い思い出を教訓としていた。

ガッツポーズでホームインする片岡。前半戦は投打がかみ合い、貯金を積み上げた


 96年は前半戦を5ゲーム差の首位で前半戦を折り返したが、最後にはオリックスにまくられた。「ゲーム差だとか、残り試合数を考えてなんて戦わない。相手があきらめるまで勝ち続けるしかない」と勝負師の上田監督は兜(かぶと)の緒を締める。エース・岩本も「口にはしませんが、みんな腹には(2年前のV逸が)あると思うんです。でも、優勝経験がないって言いますけど、僕らはいっぺん、ああいう悔しい思いをしてますからね。もう、あんなことは二度としたくないっていう気持ちがありますから」と優勝への思いは、他のどの球団よりも強かった。前半戦で18本塁打を放った田中もやるべきことは分かっていた。「毎年、夏場の調子がチーム全体としてよくないので、これをどう乗り切るかですね」。

 しかし、2年前の悪夢は繰り返される──。

 後半戦のスタートは悪くなかった。西武に2連勝し、2位近鉄に9.5ゲーム差、3位西武には10ゲーム差をつけ、いよいよ17年ぶりの優勝が視界に入ってきたと思われたが、28日からのオリックス戦3連敗で歯車が狂い始める。8月6日のダイエー戦はウィルソンの3連発で快勝するも、それでも波に乗れずに、9日から1分けを挟んで9連敗。25日からのロッテ戦3連勝で持ち直したかに見えたが、再び5連敗。最大23あった貯金が10に減った。

 大失速の原因は打線だった。主軸が軒並み数字を落として、ビックバン打線の破壊力は影を潜め、打線の急落とともにチームは勢いを失った。8月の9連敗期間中の平均得点はわずか1.5点、完封負けが4。打線の沈黙は、投手陣に悪影響を及ぼし、金村は3連続完投負けと好投を見殺しにした。途端の打線急落に上田監督は、当時社会問題となっていた銀行の融資絞り込みを例えに、「これじゃ、貸し渋りの銀行と同じやな」と苦笑するしかなかった。

 状況は好転せず、9月13日には2位ながら西武にマジック21が灯るなど劣勢はあきらかだった。それでもこの年は他球団も決め手を欠いて、日本ハムが9月18日まで貯金8で首位をキープ。19日に西武に抜かれると一度は首位を奪い返したが、24日に再び陥落。上田監督は沈黙する打線を奮い立たせようと、打順を組み替え、必死の打開策を打つもチーム内に優勝の雰囲気は薄れていった。

ビックバン打線の中核を担ったウィルソン。33本塁打で2年連続タイトルも後半戦は打率が低迷


打線で貯金をつくり打線で吐き出した


 天王山は10月2、3日の西武との3連戦。1日が雨天中止となり、翌2日にダブルヘッダー、3日はデーゲームという過酷な日程となった。

 大事な第1試合を前に「何としても勝って勢いに乗りたい」という上田監督の願いは、先発キップ・グロスの乱調に消えた。立ち上がりからボールが高めに浮き、1回裏に高木大成に先制2ランを浴び、2回裏にも失点し、打者9人でKO。このビハインドが日本ハム打線にプレッシャーとなり、6回まで西武の西口文也に1安打に封じられる。7回にウィルソンの一発を口火に3点をかえすが、時すでに遅し。投手陣が6失点で追いつくことができなかった。第2試合までのインターバルは25分。西武ドームの大型ビジョンに「M7」の文字が映し出されては、気持ちの切り替えは難しかった。

 第2試合の先発・関根は丁寧な立ち上がりを見せたが、3回裏に松井稼頭央にソロアーチを許すと、これが重い1点となる。ひたすら元気のない打線は凡打と残塁を続け、1点が取れない。リードを3点に広げられて、9回に片岡のタイムリーで1点を挙げるのが精いっぱい。よもやの連敗で優勝への道は閉ざされた。

 一夜明けて第3戦。疲労も抜けない打線は、あいかわらず沈黙したまま。だが、投手陣の意地が光る。先発の芝草が力投で西武打線を抑えた。3回に失策絡みで1点を失ったが、粘りを見せた。打線も奮起して6回に同点とすると、二番手の下柳剛がロングリリーフで引き分けに持ち込んだが、2日間で西武はマジックを9から4へと減らし、日本ハムの貯金は3に減った。大事な首位決戦での「ビッグバン打線の沈黙」が98年の戦いぶりを象徴していた。打線で貯金をつくり、打線で貯金を吐き出す格好となった。

 結局、8ゲーム差をつけて前半戦を折り返しながら、後半戦は16勝35敗2分け、勝率.314と大ブレーキで17年ぶりのリーグ制覇はならなかった。前半戦と後半戦で大幅の勝率ダウンは、65年の南海(前半.836から後半.457)に次ぐ記録で、前半戦首位チームの後半戦勝率としては、74年阪神の.345を下回るワースト記録だった。

■前半と後半の戦いぶり

 データで見ると前半戦、防御率3.87の投手陣が後半戦も3.77と踏ん張ったとなれば、V逸の責任が打撃にあることは明らかだった。チームリーダーの田中は前半.308の打率が.228と急降下。片岡も.331から.260へ。西浦も.284から.177と大幅に数字を下げた。前半こそチーム打率.277と“ビッグバン”にふさわしい打線だったが、後半戦はリーグワーストの.220と別チームのようだった。96年に続く後半戦での失速は、個人の力不足と選手層の薄さを浮き彫りにした。

 また、開幕前から西浦とのポジション争いで話題となったベテラン・落合博満は59試合、打率.235、2本塁打、18打点とビックバン打線に加わることなく、静かにバットを置いた。選手会長の広瀬哲朗も一軍出場がないままユニフォームを脱いだ。

シーズン閉幕後に落合が引退を表明。10月7日、現役最後の打席は一塁ゴロに終わった


 98年の絶好のチャンスをつかみ切れなかった日本ハム。リーグ優勝は北海道に移転後の2006年まで待たなければならなかった。

週刊ベースボール よみがえる1990年代のプロ野球 EXTRA1 パ・リーグ編 2021年12月23日発売より

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