
PL学園の3年生として春のセンバツに出場したときの今岡誠[当時]。このころ彼は、1年生時代に受けた地獄のようなしごきをどう考えていたのだろう
日刊ゲンダイという夕刊タブロイド紙がある。私も音楽関連の記事を週5日連載しているので(読んでね)、掲載紙が送られてくる。
同紙には野球関連記事も多い。中でも興味深いのは、今岡真訪の自伝連載「感性のチカラ」だ。
まずは彼独特の「感性」がユニークで面白いのだが、加えて、PL学園時代に受けた「しごき」を生々しく語った回は、驚きと恐ろしさで、胸に強く迫るものがあった。以下、4月17日号より。
――炊事当番は、練習が終わると食堂で待機。先輩に「おかわり」と言われれば飯をよそい、食事終了後には食器を片付ける。先輩全員が食事を終えるまで食堂を出られない。
――朝練が終わって後片付けをした後、1年生は寮から学校までの2キロの道のりを「連帯歩調」で一緒に登校しなければならない。「歩調! 1、2、3!」大声を張り上げながら、足も揃えて行進する。
このような地獄のような日常が、複数紹介されていたのだが、いちばん興味深かったのは、そんな地獄をどう振り返るべきかについて言及した回(5月2日号)である。
――
清原和博さんは「厳しい体罰やしごきを乗り越えてきたから今の自分がある」とあちこちで言っていた。多くのOBは「あの頃はきつかったけど、あの体験があるから今の自分がある」と口を揃える。当時は当たり前だった上級生からの「しごき」をいい思い出として振り返るOBは多い。
そうなのだ。しごきも過ぎ去れば甘美な思い出になる、もしくは地獄のことなど早く忘れてしまおうという意識が脳内で働き、甘美な思い出に自動加工してしまうのか。対して、今岡は断言する。
――僕は精神力は鍛えられたと思うが、もし中学3年からやり直せるなら、PL学園には入学しない。
こういうことを言う野球人は少ない。めったにいない。だからこそこの発言にはとても価値がある。
野球人よ。金輪際、しごきを甘美な思い出として語ってくれるな。そんなあなたの不用意な語りによって、日本の野球界は、また数センチ、昭和に戻ってしまうのだから。
最後に僭越ですが、今岡真訪にも一言。あなたの言う「精神力」の意味の半分ぐらいは、つまるところ「上からの命令が正しかろうと間違ってようと、ひたすら無条件に従う力」ではないでしょうか。
という意味での「精神力」、今の日本で、いちばんはびこってはいけない力だと、私は考えるのです。
PROFILE スージー鈴木●1966年生まれ、大阪府出身の野球文化評論家、音楽評論家。『9の音粋』(BAYFM)の月曜DJ。近著に『大人のブルーハーツ』(廣済堂出版)、『弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる』(ブックマン社)、『サブカルサラリーマンになろう』(東京ニュース通信社)。新刊に『沢田研二の音楽を聴く 1980-1985』(日刊現代)。