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綱島理友のプロ野球ユニフォーム物語

プロ野球ユニフォーム物語 第2話「日米野球編 Vol.1」

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イラスト=イワヰマサタカ


 NPBの前身、日本職業野球連盟創設のきっかけは、戦前の1931年と34年に行われた読売新聞主催の日米野球と言われている。

 読売新聞の正力松太郎社長が米国大リーグの招へいを考えたのは、報知新聞の論説委員・池田林儀に「世間をうならせる企画はないか」と聞いたところ、「それはベーブ・ルースを呼ぶことだ」と言われたのが事の始めだった。発行部数5万部ほどで経営不振だった読売新聞を正力が取得したのは1924年。大衆受けする企画を次々と打ち出し、3年後の27年には部数を20万部に増やした。正力はルース招へいがさらなる一手になりそうだと興味を持ったのである。そして31年の10月、ベーブ・ルースの参加はなかったが、大リーグ・オールスター・チームの招へいに成功する。このチームにはニューヨーク・ヤンキースのルー・ゲーリックなど強力なメンバーがそろっていた。彼らは圧倒的に強く17戦を全勝。試合は日本各地で開催され大人気。甲子園球場も名古屋の鳴海球場も満員で、のちの大阪タイガースや名古屋軍の誕生につながっていった。

 オールスター・チームのユニフォームは、当時の大リーグ御用達のスポルディング社製だった。ピンストライプで左胸には星条旗をイメージした盾型ワッペンが装着されていた。

 第1回の成功のあと・・・

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職業野球として日本のプロ野球が創設された戦前の時代から、プロ野球で使用されたユニフォームすべてを網羅した図鑑が完成するような連載

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