
イラスト=イワヰマサタカ
名古屋の新聞社・新愛知が読売新聞の正力松太郎社長から職業野球団の創設を持ち掛けられたのは1934年の夏だった。この年の11月に読売新聞主催の第2回日米野球が開催予定で、名古屋にも2試合が振り分けられていた。正力は日米野球に出場する全日本チームを母体に、職業野球団設立を計画しており、その対戦相手を求めていた。
しかし正力は新愛知のライバル・名古屋新聞にも声を掛けていた。新愛知の主幹・田中斉は不信感を抱く。
「正力という人は、大変皮肉な面のある人で、われわれに向かって、プロ野球チームを作ることを呼び掛けながら、名古屋新聞へは『新愛知がプロ野球を作る準備をしているが、あなたのほうはどうです』と、相手の気持ちをあおって、誘っていたわけだ」と後に述べている。正力はライバルが切磋琢磨することで事業は発展すると考えていた。職業野球も関西は
阪神と阪急、東京は自らの東京ジャイアンツに対して東京セネタース、そして名古屋では新愛知と名古屋新聞の球団に競わせようとした。
そんな正力に対し田中は・・・
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