
イラスト=イワヰマサタカ
読売新聞社長の正力松太郎の職業野球連盟創設計画は、東京、名古屋、大阪の三大都市に2球団ずつ設立するというものだった。大阪に
阪神と阪急、名古屋には新聞社新愛知の名古屋と名古屋新聞の名古屋金鯱、そして東京にも自らの東京ジャイアンツ以外に、あともう一つ球団が必要と考えていた。
そしてその話を立憲民政党代議士の駒井重次にした。すると駒井はすぐに米国通の鶴見祐輔と日本野球協会という組織を旗揚げした。彼らは
西武鉄道沿線の上井草に、8万人収容の東洋一の大スタジアムを建設するという壮大な構想も発表する。しかし大風呂敷を広げたものの、資金は集まらなかった。困り果てた駒井は競馬の有馬記念で知られる有馬頼寧伯爵に話を持ち込んだ。1936年1月17日、貴族院議員で資金力のある有馬は、実弟で同じ貴族院議員の安藤信昭子爵を社長に据え、西武鉄道と共同出資で東京野球協会、東京セネタースを発足させた。ニックネームのセネタース(上院議員)は、有馬と安藤の二人が貴族院議員だったことからの命名だった。
球団の設立が動き始めると・・・
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