
イラスト=イワヰマサタカ
日本職業野球連盟創設2年目の1937年。7月に中国で盧溝橋事件の戦火が上がり日中戦争が本格化した。日本政府はそれまで25万人だった陸軍の規模を4倍の100万人に増員する方針を打ち出し、徴兵を開始する。東京ジャイアンツでは
永沢富士雄、
三原脩、
中島治康、
沢村栄治、
内堀保、
倉信雄、
筒井修、
中山武、
山本栄一郎ら主力選手が次々と召集された。この事態に球団代表の役割を果たしていた専務の市岡忠男は、兵役には少し時間のある中学(旧制)4年生を対象にした補強策を打ち出した。
市岡は全国を10カ所の地域に分け、各地に築いていた人脈を駆使。情報を集めた。そして獲得したのが、四国では松山商の
千葉茂と高知商の
岩本章、関西は滝川中の
三田政夫、平安中から法政大に進学したが中退し、母校のコーチをしていた
内海五十雄、名古屋は享栄商の
野村高義、そして九州では熊本工から
川上哲治と
吉原正喜のバッテリーだった。
川上哲治と吉原正喜に関してはジャイアンツのアメリカ遠征でビジネス・マネジャーを務めていた鈴木惣太郎が担当した。当初のリストアップは捕手の吉原だけだったが、打撃練習で投手の川上が放つ鋭いライナーに驚いた鈴木は球団に電報を打ち、川上との入団交渉の了解を取った。
一方・・・
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