
イラスト=イワヰマサタカ
日本職業野球連盟創設から遅れること2年。1938年に南海電鉄は球団を設立し、加盟申請を行った。このとき指摘されたのが戦力不足。しかし関西の各私鉄が球団を持って職業野球を盛り上げていこうと考えていた
阪神と阪急のサポートで、南海軍の加盟は認められた。
38年の春季はテスト参加。秋季からリーグ戦に正式参加するが、やはり指摘されたとおり戦力不足は否めず、9球団中の8位に終わっている。
翌1939年、そんな南海軍に待望の東京六大学リーグのスター選手が入団してきた。首位打者にもなった法政大学(以下法大)の
鶴岡一人だ。
大学最後の夏休み、法大野球部は満州に遠征。現地の実業団と対戦。鶴岡は満州での就職を勧められた。
そして帰国後は・・・
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