
イラスト=イワヰマサタカ
紀元2千6百年、1940年の真夏に行われた満州遠征から帰国した日本職業野球連盟は、9月15日に理事会を開き、時局に即応するために野球の日本化を決定した。
チーム名やルールの一部を日本語化し、ユニフォームからはアルファベットが消え、引き分け試合も廃止された。連盟の中で積極的に変革を推し進めようとしたのが、名古屋軍の理事・赤嶺昌志だった。彼は世間の流れに神経質なまでに反応した。
そもそも連盟創設時、赤嶺は名古屋軍のライバル・名古屋金鯱軍に在籍していた。球団が創設され金鯱軍という名称が決まると、ライバルが使いそうな、たとえば「金城軍」などほかの名称もかたっぱしから商標登録。相手が使えないようにした。
しかし選手集めの才を買われ、ライバルの名古屋軍に誘われて移籍。理事に就任した。そして赤嶺は手始めに、球団を盛り上げるため、名古屋軍をもっと印象的な球団名に変えようと考えた。ところが思いつく名称はすべて自分が商標登録済みのものばかり。やむなく改称を断念した。
プロ野球史家の
大和球士には・・・
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