
イラスト=イワヰマサタカ
プロ野球の歴史を調べていて驚くのは、戦時中、日本が空襲で焼け野原となるスレスレの時期まで、職業野球の試合が続けられていたという事実だ。戦時下最後の公式戦は1944年の8月30日。この年から名称の日本野球連盟を日本野球報国会とあらためた連盟は、その後11月13日に正式に活動休止を宣言した。歌舞伎座や日劇や帝劇といった演劇関係の娯楽施設が閉鎖されたのは、同じ年の4月1日。つまりプロ野球は、一般的な娯楽施設の閉鎖以降も興行されていたのである。
さらに翌45年、やがて8月に終戦を迎えるこの年の正月。選手の多くが出征して不在にもかかわらず、主に関西の有志球団が集まって合併チームを結成。甲子園球場と西宮球場で最後の有料試合を行っている。
対戦したのは阪急軍と朝日軍が組んだ隼軍と、
阪神軍と名古屋軍が44年から改称した産業軍が主体の猛虎軍だった。ただし、選手の振り分けは変則的で、『背番号なし戦闘帽の野球戦時下の日本野球史1934〜1946』山室寛之著(ベースボール・マガジン社刊)によると、もともと産業軍は・・・
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