
イラスト=イワヰマサタカ
1945年の8月15日、日本は終戦を迎えた。前年の11月13日に連盟としての活動を休止した職業野球だったが、戦争の終結後すぐに、関係者が関西と東京で復活に向けて始動していた。そしてわずか3カ月後の11月23日、東西対抗戦を神宮球場で開催。プロ野球としての復活の狼煙(のろし)を上げている。
この東西対抗戦に東京ジャイアンツの選手として参加した
千葉茂さんに話を聞いたことがある。戦時下の42年4月に召集され軍務に服したそうだが、終戦は高知県の駐屯地で迎え、1週間ほどして故郷の愛媛県松山に戻った。就職でもしようかと考えていたときに届いたのが、東西対抗戦開催の知らせだった。
「東京は焼け野原で、何もないから、松山市内の運動具店を回って、残っていた野球帽やストッキングなんかをかき集めて、食料も持参で上京した。東西対抗はそれぞれが持ち寄ったユニフォームで試合をしたんだ」
千葉さんは当時の状況を語ってくれた。東西対抗戦は神宮球場のあと、24日は群馬県桐生の新川球場、12月1、2日は西宮球場で開催される。
そしてそのあと千葉さんが向かったのが・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン