
イラスト=イワヰマサタカ
空襲によって街は廃墟と化し、人々は食料難で食うや食わず。そんな混沌とした終戦直後の日本で、驚くべき速さで復活を遂げたのが職業野球だった。その呼び名もプロ野球と新たな看板が掲げられた。
東京で素早い復活の中心にいたのは、新球団セネタースであった。
戦前の東京セネタース初代監督の
横沢三郎と、その兄で球団役員だった小林次男の2人が原動力となってスタートした球団である。さらに2人の弟たちも参加。
横沢四郎はマネジャーとスカウトを兼任し、末の
横沢七郎は選手として加わった。
まさに横沢一家の球団だった(球団名は同じセネタースだが、出資元が別なので、NPBの歴史では戦前の球団とは別系列とされている)。
1945年8月の終戦直後から球界関係者のたまり場となっていたのが・・・
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