
イラスト=イワヰマサタカ
戦後、プロ野球が復活して2年目の1947年。破竹の勢いでシーズンを制し、圧倒的な強さを誇ったのが大阪タイガースだった。
前年、戦後1年目のシーズンは中盤まで近畿日本グレート・
リングや東京
巨人軍と三つ巴の優勝争いを繰り広げたが、夏場あたりから息切れ。優勝は近畿日本にさらわれた。しかし、そんな優勝の望みがなくなった9月22日、戦時下の
阪神軍で投手と監督を兼任していた
若林忠志が疎開先の宮城県石巻から復帰。選手兼監督として復活した。
当時、プロ野球界で深刻化していたのが、八百長につながる賭け屋の跋扈(ばっこ)。特に関西がひどかった。近畿日本の
山本一人や太平パシフィックの藤本定義など、関西地区の球団の監督たちは賭け屋と戦い、関係を疑われる選手を多数解雇したという話は有名だ。大阪タイガースも47年のシーズン前に大量9人の選手がやめている。ただし全員が八百長がらみではなく、その中の1人、
宮崎剛はこの年に創設された国民リーグに引き抜かれた。「とにかくインフレがひどかった。シーズン前には普通の給料額だったけど、終わったときには紙切れ同然になっている。で、条件のよい国民リーグに移ったんだ」。
のちに・・・
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