週刊ベースボールONLINE

綱島理友のプロ野球ユニフォーム物語

プロ野球ユニフォーム物語 第57話「中日ドラゴンズ編 Vol.8」

 

イラスト=イワヰマサタカ


 戦後初の1946年のリーグ戦を無事に終えた日本野球連盟は、12月22日と23日の2日間、翌シーズンに向けて代表者会議を開いた。当時の連盟理事長だった鈴木龍二の「回顧録」によると、この席で中部日本の赤嶺昌志が「アメリカにならえ」というキャッチフレーズで、プロ野球をファンにアピールしようではないかと提案。その結果、全球団がアメリカ式のニックネームを採用することになった。戦時下、軍国主義に歩調を合わせ、ユニフォームの色を国防色にせよと主張した赤嶺だったが、戦後は一転して「アメリカにならえ」。この変わり身の早さには、ちょっと呆れるところもあるが、常にプロ野球の存続を第一に考える赤嶺にしてみれば、時代に迎合することに躊躇(ちゅうちょ)はなかった。

 中部日本のニックネームは社内で検討され、親会社・中部日本新聞社の杉山虎之助社長の辰年からドラゴンズが採用された。杉山は終戦後すぐに、戦争責任を理由に辞任した大島一郎に代わり、社長に就任している。大島は戦前、名古屋軍と呼ばれていた時代からの初代オーナーで、職業野球、プロ野球に対する理解は深かった。しかし杉山は残念ながらそうでもなかったようだ。

 以前、中日ドラゴンズOBの杉下茂さんから聞いたのだが、当初、杉山社長は・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

綱島理友のプロ野球ユニフォーム物語

綱島理友のプロ野球ユニフォーム物語

職業野球として日本のプロ野球が創設された戦前の時代から、プロ野球で使用されたユニフォームすべてを網羅した図鑑が完成するような連載

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング