
イラスト=イワヰマサタカ
戦後のどさくさの中で宇高勲が経営する宇高産業は、自動車クラクションの製造で大成功を収め巨額の利益を得ていた。無類の野球好きだった宇高は、手元の資金をつぎ込んで、人気のプロ野球に参入しようと考えた。戦後最初のシーズンが開催されていた1946年の6月、宇高は大胆にも日本野球連盟の鈴木龍二会長と面談し加盟を申し入れた。
しかし会長は「8球団の連盟に、1球団増やすと奇数になって対戦カードを組みにくい」という理由で新規参入を体よく断った。
数日後、明治大学出身でかつて剛球投手として鳴らした渡辺大陸が、毎日新聞記者の小野三千麿に連れられて就職を頼みに宇高の事務所を訪れる。渡辺は台湾から引き揚げてきたばかりだった。小野も大正年間の22年、来日した大リーグ選抜チーム相手に日本で初めて勝利投手となった名選手。宇高はいつも・・・
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