
イラスト=イワヰマサタカ
終戦後、東京
巨人軍は再始動に後(おく)れをとった。プロ野球は関西のほうが早く動き出した。9月から始動し11月には阪急百貨店の食堂で阪急軍、
阪神軍、朝日軍、近畿日本軍の関西4球団による復活の話し合いがもたれている。本来、東京で復興の音頭を取るべき巨人軍は親会社の読売新聞が労働争議で揺れており、球団としての動きは鈍かった。
関西の実家にいた
青田昇は球団からの連絡がないため、動きの速い地元の阪急軍と契約。
白石敏男、
ヴィクトル・スタルヒンも藤本定義が監督に就任した在阪球団の朝日軍が改称した太平パシフィックに入団した。
プロ野球復活の狼煙(のろし)となった東西対抗戦の開催で東京の拠点となったのは、新橋駅前の仙台製作所という会社の事務所だった。ここは大東京軍や名古屋軍で監督を務めた小西得郎が管理していた。近くの闇市から手に入る食料目当てに球界関係者が集まるようになり、東京駅にも近いことから関西の球団関係者も出入りし、球界の連絡事務所となっていた。
「兵隊から戻って松山の実家にいた。最初は
藤本英雄からプロ野球が復活しそうだというハガキをもらったが半信半疑やった。東京は焼け野原だし、まずは地元で就職しようと思った。それからしばらくして『11月に神宮球場で日本野球連盟の復興のために東西対抗戦を開催するので参加を請う』という通知が来たんだ」
以前・・・
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