
イラスト=イワヰマサタカ
サンフランシスコ・シールズは1949年の10月12日に来日すると、同30日の東京六大学選抜との最終戦まで11試合を戦い、大リーガーがいた極東米空軍に1敗した以外は全勝という圧倒的な強さで格の違いを見せつけて帰国した。
プロ野球はシールズの帰国後、ペナントレースを再開する。そしてこの年は読売
巨人軍の戦後初の優勝で11月29日をもって終了した。
しかしこの年は忙しかった。
12月2日から開催されたのが、現在のオールスター戦にあたる東西対抗である。1リーグ制のこの時代、日本シリーズもオールスター戦もなく、しかも戦後のプロ野球復活は東西対抗から始まったということもあって、球界最大のイベントとして人気も高かった。戦後2度目の46年の東西対抗からは、日本野球連盟の事務局にいた大リーグ通の鈴木惣太郎の発案で、アメリカのオールスター戦にならってファン投票も導入された。投票のハガキは当時の主催者だった首都圏紙・東京タイムスに連日、山のように殺到したと言われている。そしてこの時代の東西対抗は試合数も無茶苦茶多く、46年は6試合、47年と48年は9試合も開催されている。しかし・・・
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