
イラスト=イワヰマサタカ
戦後、職業野球はプロ野球として復活し人気が高まるが、その盟主たる東京
巨人軍は当初苦戦した。1946年の戦後初のシーズンは2位だったが、47年は5位に転落。この年の1月に組織変更で球団は読売巨人軍となった。この不調のシーズン途中、実質的な監督として読売新聞運動部の
三原修を招聘する。
その結果、48年は2位に浮上し、49年は戦後初の優勝という具合に三原は真価を発揮した。しかしその道は平たんではなかった。48年のシーズン終了後に読売新聞の首脳部がライバルの南海ホークスからエース投手の
別所昭を引き抜く。いわゆる「別所引き抜き事件」だ。その結果、49年の南海との対戦は殺伐とした雰囲気となり、遺恨試合と呼ばれた。
そんな中、4月14日の試合で起きたのが、南海の一塁走者・
筒井敬三と巨人の二塁手・
白石勝巳の走塁をめぐるトラブルだ・・・
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