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2012ドラフト会議 CLOSE-UP

西武2位 相内誠 [千葉国際高]

 

さまざまなドラマを生んだ“運命の一日”の中、ひときわ異彩を放つ高校生がいた。長身としなやかな投球フォームで「房総のダルビッシュ」と呼ばれる千葉国際高・相内誠。プロの舞台へと導いたのは、恩師をはじめ、多くの人たちの支えだった。
取材・文=茂原邦雄 写真=黒崎雅久

野球だけでなく人としての成長も促してきた高瀬忠章監督


 「契約金で親孝行したい?」。会見後の囲み取材での何気ない質問に、相内誠は一瞬、答えに窮しながら「いや、まったく考えてないです」とだけ返した。そのとき浮かべた複雑な表情は、中学1年時から千葉県内の児童養護施設に身を置いていたという、自身の生い立ちに由来している。

 ただ、施設や千葉国際高での寮生活では“親代わり”とも言うべき人たちの愛情を受けてきた。同高野球部の高瀬忠章監督もその一人。

 小学校時代から「プロ野球選手になりたい」という淡い夢を抱きながら「どうせ無理だからやめときな」という冷めた声にさらされてきた少年にとって、入部間もなくその才能を見いだし「プロを目指せ」と言い続けた監督の存在は大きなものだった。また、グラウンド外でのヤンチャぶりを根気よく叱り、人としての成長を促したのも監督だった。

 「ただ怒るだけじゃなく、自分の先のことを考えて『野球ができなくなるようなことはするな』と、毎日のように言ってくれて。それでも何度も迷惑をかけてしまって、すごく申し訳なくて……」

 指名直後、さまざまな思いがこみ上げ机に突っ伏した相内と、その横で目にたっぷりと涙を浮かべる監督の姿は、親子のような2人の絆を物語っていた。

テレビ中継で指名を確認した相内[左]は、高瀬監督とガッチリ握手を交わした後、喜びを噛みしめるように机に顔をうずめた



 エースとなった2年夏、1回戦で9者連続三振をマークし注目を集めると、3年春の県大会では創部20年目にして初のベスト8にチームを導いた。ただ、最後の大会は温存策が裏目に出て3回戦敗退。“房総のダルビッシュ”の夏は、わずか2イニング、25球で幕を閉じた。

 「投げさせられなかったのは全面的に私の責任。結局、3年間で私は彼の素材を生かしてあげられなかった」と悔しそうに語る高瀬監督に対し、相内は「お世話になり過ぎて、感謝してもしきれないです。(プロで)活躍する姿を見てもらって恩返ししたい」と声を詰まらせながら語った。

 以下は、ドラフト会議当日の朝に本人がレポート用紙にしたため、報道陣に配られたメッセージ。

 「野球があったから、今の私があります。野球は私の支えです。私を支えてくれた野球に、そして、野球のできる環境をくださった、多くの方々に、感謝しています。これから、技術や身体だけでなく、人間として大きく成長をしたいと思います。どうぞ皆様、今後も、私に多くの指導をしてください」

同級生や後輩部員たちから手荒い祝福を受け「プロ野球に入るってすごいことなんだなって、あらためて思いました」と相内



 体重70キロ弱の細身の体ながら、目標は大きく「新人王」。プロへの道を支えた多くの人たちが、そのサクセスストーリーに期待している。

PROFILE
あいうち・まこと●1994年7月23日生まれ。千葉県出身。185cm68kg。右投右打。琴田小4年時に琴田スポーツ少年団で野球を始め、当時から投手。6年時に県8強。天羽中では軟式野球部に所属。千葉国際高では2年夏からエース。最速143キロの直球とカーブ、スライダー、カットボール、フォークを制球良く操るスタイルが持ち味で「コントロールなら藤浪君(大阪桐蔭高)にも負ける気がしない」。目標の投手は中日吉見一起
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