近藤、阿波野の両左腕
下位にも個性派がズラリ この年は近藤、阿波野、2人のサウスポーに注目が集まった。享栄高の“怪物左腕”近藤は5球団が競合。 亜大で通算32勝の阿波野には3球団が入札。 また、表を見て分かるとおり上位から下位までバラエティに富んだ顔ぶれになったことも、この年の特徴と言える。 ファミコンが大ブームとなり、流行語は『タンスにゴン』のCMで広まった「亭主元気で留守がいい」。そんな1986年の11月20日に開催されたドラフト会議では、2人のサウスポーに注目が集まった。
まずは“怪物左腕”
近藤真一(享栄高)である。この年には春夏連続で甲子園に出場しており、センバツでは初戦敗退に終わったが、夏には唐津西高(佐賀)との1回戦で15奪三振の完封勝利。スカウト陣からは絶賛の嵐だった。ドラフトでは
ヤクルト、
中日、
日本ハム、
阪神、
広島と5球団が競合し、中日の
星野仙一新監督が当たりクジを引き当て、地元のヒーローを獲得した。
近藤はプロ1年目の87年8月9日の
巨人戦(ナゴヤ)で先発登板。プロ野球史上初となる・・・
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