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〜芽を出す時……2006〜10年(野村政権とブラウン政権)〜

苦節9年、つかんだ初栄冠

 

まだ生まれたてのチームにとって、1年目のシーズンはただただ相手に翻ろうされるばかりだった。
そんな“雛”に飛び方を教えたのが野村克也監督だ。
プロ野球選手としての考え方、姿勢を叩き込まれ、岩隈、田中という稀代の名投手2人に恵まれた楽天は、徐々にチームとしての骨格が出来上がっていった。

“野村野球”が遺したもの〜チームとしての骨格づくり〜
野村克也政権[2006〜2009年]

 創立初の2005年シーズンは、首位のソフトバンクに51.5ゲーム差を付けられるなど惨憺(さんたん)たる船出だった。2年目のテコ入れを迫られた楽天は、ヤクルト時代に4度のリーグ優勝(うち3度の日本一)を達成した野村克也氏を監督として招へい。一筋縄ではいかない老練な指揮官は、自身最後のシーズンとなった09年に球団初のAクラスとなる2位に浮上させるなど、4年間でチームを大躍進に導いた。野村野球は、弱小チームをどう変えたのか。野村氏が、楽天の初優勝への礎を築いたと評価する声も多い。

求めたのは『無形の力』

 野村氏の楽天での最初の仕事は、チームの意識改革を図ることだった。06年1月31日の沖縄・久米島での春季キャンプ前夜、ミーティングで『ノムラの考え』と題された冊子が選手全員に手渡された。内容は、プロフェッショナルとしての心構えからはじまり、「弱者の戦法」を掲げた実戦での独自のノウハウなど野村氏が現役からの経験をまとめたもの。野村イズムが凝縮された、門外不出の“手引き書”だ。

 同様の冊子は、阪神監督時代にも選手に配られている。「才能には限界があるが、頭脳には限界がない」というのが、野村氏のモットー。『ノムラの考え』は、強敵を攻略するという意味合いだけにとどまらず、考えることの大切さを訴える“啓蒙書”でもあった。

 単に投げる、打つなど目に見える一般的なプレーを・・・

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