週刊ベースボールONLINE

名将たちの栄光と屈辱のドラマ

日本シリーズ7試合の天国と地獄

 

上田利治(元阪急)
出場=75〜78、84年
日本一=75〜77年




“西本遺産”を再投資して巨人打倒
7試合シリーズは1勝2敗と苦手


▲72年に西本阪急がパ・リーグ制覇。このときのヘッドコーチが上田(写真左)で、西本イズムを引き継ぐ形で後に日本一をつかんだ



 上田は25歳の若さで指導者に転じている。根っからの“教え好き”だった。いつだったか、西宮球場で当時流行の乱数表について“講義”を受けたこともあったが、その説明の見事さに「この人、大学教授もやれるな」と感心したものだった。

 それはともかく、74年、西本幸雄前監督から指揮を引き継ぐと、2年目の75年には早くもリーグ制覇。エース・山田久志は不調だったが、ルーキーの山口高志をうまく使い、前期制覇。近鉄とのプレーオフも山口がフル回転。広島との日本シリーズでも超人的投球でシリーズMVP。広島の主砲・山本浩二が「あのときはリーグ初優勝で大満足。シリーズまで頭が回らなかった」と振り返るように広島の準備不足が目立ち、無敗(4勝2分)で日本一を手に入れた。このシリーズでは、上田の手腕に目立ったものはなかった。

 76、77年の対巨人日本シリーズでは、5度挑んで勝てなかった相手だけに、上田阪急は一丸になった。この一丸で勝った76年の初戦は山田―山口のリレーで先勝。巨人相手に初めての初戦勝利。打線も14安打(6対4)。上田監督は「選手は互角に戦えると感じただろう」。阪急はそのまま3連勝。しかし、そこから3連敗。山口に前年のような力がなかった。5、6戦とエース・山田を連投させたことで、7戦目は中3日で36歳のベテラン・足立光宏に託すしかなかった。この足立が踏ん張った。

 敵地・後楽園のマウンドのハンディをものともせず、「もっと騒げ、もっと騒げ。俺はどんどん冷静になれるぞ」とうそぶいて125球の完投勝利(4対2)。ついに巨人の牙城を崩したのだった。上田監督は、後楽園での初戦の前、巻き尺を持ち出して両翼の距離を測り、「90メートルとあるけど、なんや、87メートルやで。どんどん打っていけ」とかなりどぎつい心理作戦を展開したが、このへんのメンタリティーは三原監督を思わせるものだった。

 77年は、昔とは逆に阪急が巨人をのんでかかり、4勝1敗で圧勝した。4戦目・・・

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