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「外れ1位」も正真正銘のドラフト1位である。松井裕樹を抽選で外した中日は、すぐさまこの143キロ右腕・鈴木翔太獲得に戦略をシフトした。底知れぬ実力、そして将来性。これこそが“静岡の快腕”と呼ばれた男の最大の武器である。ドラゴンズの未来を担うであろう18歳の魅力に迫った。

取材・構成=上原伸一 写真=川口洋邦

つらい日々思い出し
感涙が止まらず


竜の新指揮官・谷繁元信監督兼捕手から栄誉あるドラフト1位指名を受けた鈴木翔太。5球団競合の末、東北楽天が1位指名した桐光学園高の松井裕樹、そして埼玉西武から単独1位指名された大阪桐蔭高の森友哉に次ぐ、高校生としては3番目の指名選手となった。

――ドラフト会議から3週間が経ちました。“プロになる”という実感は高まってきましたか。

鈴木 正直なところ、まだ自分がプロになるのが現実とは思えません。年が明けて自主トレが始まれば違ってくるでしょうが……ただ周囲の目は変わったように感じます。少しずつ「プロ野球選手」として見られるようになってきました。

――鈴木投手は聖隷クリストファー高(以下、聖隷)にとって初のプロ野球選手となりました。

鈴木 入学時に“学校初のプロ野球選手になる”と誓いを立てていたので、それが叶ってうれしいです。これからどんどん聖隷からプロ選手が生まれてほしいと思います。

――指名された後、鈴木投手は涙を流していました。あの涙はどんな涙だったのですか。

鈴木 3年生になる直前の3月に右ヒジを故障しまして、投げられない日々が続きました。不安にも駆られ、つらく苦しい思いをしたのですが、周りの人が支えてくれまして……そのころがふと脳裏をよぎって、涙が止まらなくなったんです。

――時は大学進学に心が傾いたこともあったそうですね。

鈴木 右ヒジをケガした後、4月の県大会では2試合に登板したものの、5月に入るとまた投げられなくなりまして……これではプロに行けないと、気持ちが進学にシフトしてしまったのです。それでも6月になってようやく万全な状態になったので、再びプロを目指そうと仕切り直しました。リハビリ中に知人を通じて知り合った早大の中澤彰太(1年)さんから、自分の場合はプロに行った方がもっと成長できるのではというようなアドバイスをいただき励みになりました(※鈴木は2年夏の静岡大会4回戦で、当時静岡高3年だった中澤と対戦している)。

ケガと向き合い
精神的にたくましく


体の成長に比例するように伸びていった鈴木は2年夏の県大会で一気にブレーク。準決勝で敗れたものの、この常葉橘高との試合で延長14回を1失点に抑えるなど好投を続け、プロ注目の存在に。3年春に右ヒジを故障し、つらい時期も過ごしたが、これが「人間・鈴木」を大きくした。

▲右ヒジの故障を乗り越えた3年夏は、県8強で敗退したものの好投。その評価を再び上昇させている



――ところで鈴木投手はなぜ、聖隷に入学したのですか。

鈴木 シニア(浜松シニア)時代にお世話になった佐野勝稔監督の息子さんが佐野大輔副部長という縁があって、聖隷を選びました。

――聖隷入学当時は今ほど体が大きくなかったそうですね。

鈴木 はい。身長も180センチなかったですし(現在は183センチ)、体重は今(74キロ)より15キロほど少なく、かなり細かったですね。

――聖隷は食事指導にも力を入れていると聞いています。体が大きくなったのはその成果だとも思いますが、どのくらい食べていたのですか。

鈴木 平日なら1日5食でした。朝昼晩の3食に加え、午前の休み時間に弁当を、練習の合間にもおにぎりなどを食べていました。はじめのうちは無理やり詰め込んでいる感じでしたけど(笑)、特に大きくなったのは下半身です。走り込みで鍛えたこともあり、尻周りや太もも周りはかなりサイズアップしました…

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