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ルーキーながらプロ野球29年ぶり、パ・リーグ55年ぶりとなる開幕投手を務めた則本昂大。球団の新人記録となる15勝をマークし、ポストシーズンでも獅子奮迅の働きで日本中の野球ファンにその名を知らしめた。雑草ルーキーから、日本一の立役者へ。反骨心と大いなる野望を胸に、若き右腕の快進撃はもう止まらない。

 敵地のどよめきを背に則本昂大は駆け足でマウンドに向かった。心は妙に落ち着いていた。「これで打たれたら、二軍に行くだけ。自分のできることをやろう」。マウンドからバッターボックスを見下ろすと、気持ちは吹っ切れた。

 リベンジの舞台だった。7月6日のソフトバンク戦(ヤフオクドーム)、3対3で迎えた3回に、先発・戸村健次が1点を勝ち越され、なおも続く二死一、三塁のピンチでリリーフを任された。前日の先発マウンドで、1回4失点KOの惨状を繰り広げたばかり。星野仙一監督からは「あんなボールを放っていたら20点取られる」と切り捨てられた。

 だが、則本は踏ん張った。今宮健太に四球を与えて満塁としたが、ラヘアを空振り三振に仕留めると、また駆け足でベンチへと戻った。「粘れば打線が援護してくれると信じていた」。ここから6回までの3回⅓を2安打無失点。味方打線は5回に逆転し、7勝目が転がり込んだ。6月6日のヤクルト戦(神宮)以来、ちょうど1カ月ぶりの白星だった。

 この白星で、きっかけもつかんだ。それまで6勝6敗。ここで1つ勝ち越すとそのまま5連勝し、シーズンを終えてみれば15勝8敗。チームの先輩・田中将大に次いでパ・リーグ2位タイの勝ち星を挙げ、球団としてその田中以来の新人王に輝いた。「久米島キャンプの声出しで『新人王をとる』と宣言した。ようやくこの日が来たという感じ。人生で一度しか取れない賞を取れたことは良かったです」

高き壁を超えるために

 高校時代までは、無名の投手だった。滋賀・八幡商高3年夏の県大会準決勝では、前の試合で右親指に打球が当たった影響もあったが、マウンドにも上がれずに高校野球人生を終えた。

 当時、「俺、プロを目指すから」と周りにプロの夢を語っても、誰も信じようともしなかった。「絶対に見てろよという感じでした」。その反骨心で三重中京大からプロ入りを果たした。

 母校の三重中京大は、生徒数の減少に悩まされ、閉校となった。則本は同校最後の野球部員となった。入学するときには、すでに閉校が決まっていた。

「自分がプロで活躍すれば大学の名前が残っていく」。その言葉を、すぐに現実のものとした。新人として、パ・リーグでは58年の杉浦忠(南海)以来55年ぶり、ドラフト制導入後初めてシーズン開幕投手に抜てきされた。白星こそ逃したが、プロ野球人生の出発点で歴史に名を残した。日本シリーズでも52年の大神武俊(南海)以来、61年ぶり3人目の開幕投手を務めた。

 だからこそ、日本一をかけた大舞台も楽しんだ。巨人との日本シリーズ初戦のマウンド。「大役とは思わなかった。むしろ『やったぜ!』と思ったぐらい。『ここで勝ったらすごくねえ?』って」。史上2人目の新人2ケタ奪三振も、8回2失点で敗戦投手となった。

 だが、則本の活躍はここから。シリーズ第5戦で2点リードの6回から登板。9回に追いつかれたが、延長10回先頭の打席に立った。四球を選んで、そのまま決勝のホームも踏み、シリーズ初勝利を手にした。第7戦は2番手で2回無失点。「リリーフはシーズン中もあった。戸惑いはなかった」。その4カ月前に与えられたチャンスをモノにしたからこそ、日本一の歓喜の輪の中心にいた。

 第7戦では田中へとバトンをつなぎ、日本一となった。偉大な先輩の存在は大きかった。この1年、常に自分にノルマを課してきた。その指針が田中だった。入団後、最初の目標は、田中が持つ球団新人記録(11勝)だった。高卒と大卒との違いがあるからこそ超えなければいけないカベと考え、超えた。

「『できることをやればいい』。シーズンの開幕戦に投げさせてもらったとき、田中さんから一番最初に習ったこと。振り返ってみると、あのときは知らず知らずのうちに緊張していた。でも、田中さんの言葉を聞いたとき、気持ちが楽になった。その言葉がなかったら、今の自分はなかった」



 長いシーズンを終えたが、束の間の休息を終えれば、すぐに2年目のシーズンがやってくる。

 オフは“田中塾”の門をたたく。来年1月に小山伸一郎辛島航らを含めた「チーム・田中」に加入し、一緒に合同自主トレを行う。田中(11勝→9勝)をはじめ、過去に数え切れない選手が翌年に成績を落とし、2年目のジンクスに屈してきた。「防御率(3.34)をもっと下げないと。毎年、前の年よりもいい成績を残せるようにしていきたい。そして、できるだけ長い間、2ケタ勝利というのを続けていきたい」。

あの田中でさえもできなかった2年連続の2ケタ勝利、そしてエースの称号をつかむために――。肝っ玉ルーキーのあくなき挑戦の日々は、まだまだ始まったばかりだ。

PROFILE
のりもと・たかひろ●1990年12月17日生まれ。滋賀県出身。178cm81kg。右投左打。八幡商高から三重中京大を経て、13年ドラフト2位で楽天入団。ルーキーイヤーから開幕投手を任され、15勝をマーク。楽天では07年の田中以来となる新人王のタイトルも獲得した。次代のエース筆頭候補として、さらなる飛躍が期待される。13年シーズンの成績は27試合登板、15勝8敗0H0S、防御率3.34。
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