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歴代の新人王たちの横顔を見ていこう。新人王とは2リーグ制になった1950年から制定された最優秀新人のことだ。その新人王の中でも鳴り物入りで入団し、いきなり各タイトルを獲得したスター選手たちがいた。彼らは今でもわれわれの心に残る名プレーヤーばかりだ。

新人ながら2冠!スーパースターの誕生

2冠デビューの“ミスター”


▲ドラフト以前 1958年入団 本塁打王、打点王獲得、最多安打(当時連盟表彰なし)、ベストナイン獲得58年成績 130試合 打率.305 29本塁打 92打点 153安打 37盗塁通算成績(実働17年) 2186試合 打率.305 444本塁打 1522打点 2471安打 190盗塁



 1957年12月7日、立大の三塁手・長嶋茂雄が1800万円で巨人と契約した。現在なら3億円ほどの価値がある、大型契約だ。

 佐倉一高時代にも巨人などからオファーを受けるほど評価は高く、立大では六大学記録の通算8本塁打を放ち、リーグ連覇に貢献。大学野球界最高のスターには、西鉄、国鉄以外の10球団が獲得に動いた。

 翌58年、長嶋は周囲のプレッシャーをものともせず。プロの投手のボールに戸惑うこともあったが、すぐに順応して本塁打、打点の2冠で新人王となる。

 ちなみに、この年の打率は2位で、最終的には1位の田宮謙次郎阪神)に1分5厘差をつけられた。“長嶋人気”で巨人の観客動員数が前年に比べて約10万人もアップし、後楽園はもちろん、地方球場での巨人戦もいつも満員だった。

登板過多も新人歴代最多の35勝”


▲ドラフト以前 1961年入団 最多勝、最優秀防御率、最多奪三振(当時連盟表彰なし)、沢村賞、ベストナイン獲得61年成績 69試合登板 35勝19敗 310奪三振 防御率1.70 通算成績(実働5年) 210試合登板82勝60敗 667奪三振 防御率2.69



 翌59年は中大卒の桑田武(大洋)が31本塁打で本塁打王を獲得しての新人王。60年は巨人の堀本律雄が29勝で最多勝とともに獲得し、61年はブリヂストンから中日に入団した権藤博が衝撃のデビューを果たす。

 権藤は最多勝と最優秀防御率以外に沢村賞、ベストナインも獲得し、当時表彰のなかった最多奪三振も記録。また、69登板、44先発、32完投、12完封、8無死四球、429回⅓投球回、被安打321もリーグ最多記録だった。ペナントレース130試合の半分以上に登板した。

 65年にドラフト会議が初めて行われ、巨人にドラフト1位で入団した堀内恒夫が快挙を成し遂げる。シーズン途中に二軍落ちを経験しながらも、13連勝を含む20勝をマーク。久しぶりの大物新人は、88年にドラフト1位で中日に入団した立浪和義。開幕スタメンで登場して、打率こそ夏場に失速して.223だったが、22盗塁、21犠打でリーグ優勝に貢献して、高卒新人初のゴールデングラブを受賞した。

投手4冠の雑草魂”


▲ドラフト1位 1999年入団 最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最優秀投手、沢村賞、ベストナイン、ゴールデングラブ賞獲得99年成績 25試合登板 20勝4敗 179奪三振 防御率2.09NPB通算成績(実働10年) 276試合登板112勝62敗 1376奪三振 防御率3.01



 90年にはNTT東京からドラフト1位で中日に入団した与田剛が最優秀救援投手を獲得。より衝撃が大きかったのは、93年にドラフト1位でヤクルトに入団した伊藤智仁だ。鋭く曲がる高速スライダーでリーグ屈指の強打者たちを震撼させた。4月から一軍で登板も、7月にはヒジを痛めて戦線離脱。実働わずか3カ月、14試合登板での新人王になった。

 
 上原浩治は大体大時代にインターコンチネンタルカップなど国際大会で活躍し、メジャー球団からも注目される。エンゼルスと巨人で迷った結果・・・

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