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「投手王国」の礎を築いた2大右腕のスペシャル対談

外木場義郎x池谷公二郎[元広島]

 

『週べ』で特別公開!1980年代、「投手王国」を礎に黄金時代を築いた広島東洋カープ
2014年、エース・前田健太を筆頭に「新投手王国」の予感が漂うが、3月12日に小社より、カープ投手陣にスポットを当てた『B.B.MOOK1034カープ投手王国の系譜』(定価:本体1143円+税)が発売される。
ここでは、同誌で行った外木場義郎氏と池谷公二郎氏によるスペシャル対談の未公開部分を特別公開。
後の「投手王国」の先達となった両右腕のトークをお楽しみいただこう。

取材・構成=新ヶ江周二郎
写真=松村真行、BBM
取材協力=メルパルク広島



外木場 昨年、カープは16年ぶりにAクラス入りできたが、野球はいかにピッチャーが大事かということをあらためて感じたね。あとは打線との歯車がかみ合えば、さらに上位も見えてくる。1975年に初優勝を果たしたときはまさにそうだった。

池谷 僕が入団した74年は安仁屋(宗八)さん、白石(静生)さん、大石弥太郎さんなどベテランの方が多かったのですが、75年に(ジョー)ルーツ監督が積極的にトレードを行って、投打のバランスが良くなりましたよね。

外木場 それでも、まだ「投手王国」とは言えなかったと思うね。あの年、先発はほぼ俺と佐伯(和司)くん、池谷くんの3人で回していたんだから(シーズン130試合中、3人で先発した試合は112試合。内訳は外木場=40、池谷=36、佐伯=36)。

池谷 古葉(竹識)監督に代わって優勝して、それからですよね。古葉監督は投手をベースにしたチームをつくろうとしていた気がします。78年に江夏(豊)さんが入ったことで、カープは「投手分業制」がはっきりしてきたんですが、結果的にそれが良かったんじゃないかと思いますね。

外木場 なぜあんなことをしたのかを考えると、選手みんながお金を稼がないといけない。先発のピッチャーだけが頑張って、リリーフのピッチャーがお金をもらえないとなれば大変だよ。シーズンは長いわけだから、チームの勝利のためにも、選手個人のためにも、そういう方針にしたんじゃないかと思うね。

池谷 当時は、評論家の方々がキャンプを訪れると「カープのブルペンは見ていて面白い」と言われましたよね。それだけバラエティーに富んだピッチャーがいたからだと思います。今年キャンプを視察に行ったチームだと、カープもそうですが、ジャイアンツは面白かったですね。

「どうにもならん投手」

外木場 選手の個性もそうだけど、みんなしっかり練習していたよ。池谷くんの印象はとにかく走るということ。練習終わってからも1人で走っていたよな?

池谷 はい。入団は僕が後ですが、佐伯は同級生なんですよ。それでよく一緒に練習をするようになり、彼は変わった男で負けた日の夜は・・・

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