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海の向こう、メジャー・リーグで一時人気を博した変化球・スプリット。しかし、今ではこの球種を用いる投手は少なくなっているという。果たして魔球の効果は失われつつあるのか。スプリットの始まりから、現状までをたどる。
文=木村康之、写真=AP

“劣等生”右腕のブレークで知られるようになったSFF



 スプリット・フィンガード・ファストボール、いわゆるスプリッター(以下SFF)がメジャーの世界に出てきた最初は、1970年代のことだった。

 カージナルスにブルース・スーターという抑えがいた。もともとはカブスの有プロスペクト望株だったが、メジャーに上がらないうちに神経圧迫により手術を受け、球速が落ちてしまった。そこに、投手インストラクターのフレッド・マーティンが手を差し伸べ、このボールを伝授する。手の大きいスーターにピッタリのボールで、彼はその後、カブスとカージナルスで計5度、セーブ王となり、2006年には殿堂にも入っている。

 スーターがメジャーで台頭していくころ、まだそれは「SFF」とは呼ばれていなかった。“スーターのフォーク”である。そもそもフォーク自体は1920年代からあった。

ブレット(弾丸)」の異名を取ったジョー・ブッシュという投手が投げ始めて広まったものだ。とはいえ、スピードを失わないまま打者の手元で急激に落ちる“スーターのフォーク”は、ただのフォークではない、何か秘密がある、と睨にらんだ人物がいる。それが、SFFの始祖として知られるロジャー・クレイグだった。

「スピードを失わないフォーク」を投げたブルース・スーター。しかし、当時は一つの球種として確立されてはいなかった



 78年から2年間、パドレスで監督を務めていたクレイグは、カブスがサンディエゴに乗り込んできた際、スーターとマーティンを呼んでその魔球の秘密を根掘り葉掘り聞いたという。

「打撃練習のときだった。ロジャーは私たち2人をケージのそばに呼んで“その球種について知りたいのだ”と聞いてきた・・・

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