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山田久志氏や高田繁氏、元パ・リーグ審判部長の村田康一氏が一番速かった投手に挙げたのは山口高志氏(写真)だった


スピードガンの球速と、ボールの威力は別物だ。いくら速くても打たれてしまう投手を速球投手とは言わない。高めにグ〜ンと来て、9回でもスピードが落ちない、そして打者に“絶好球”と錯覚させる球で空振りを取る――この本物の速球投手たちを独断と偏見付きで紹介する。
文=大内隆雄

大谷は「本物の速球投手ではない」


 交流戦の初戦で北海道日本ハム大谷翔平は5回0/3で5失点のKOとなったが(5月20日の対中日戦、札幌ドーム)、5回までの好投がウソのように4安打を集中され、2四球と制球も乱れた。この6回、直球のスピードは依然150キロ台をマークしていたが、155キロを森野将彦に完璧にミートされレフトフェンス直撃の二塁打を浴びた。なまじボールが速いから、まるで右打者が引っ張ったような打球になってしまう。

 筆者は、これで大谷は「まだ本物の速球投手ではない」という、結論を出した。自分流の基準に照らしてではあるが。

 筆者の基準で述べる前に、155キロをいとも簡単にフェンス直撃の打球にされてしまうのだから、スピードガンの数字は「球速」ではあっても、「球威」ではないことを言っておきたい。球速はあっても球威がなくて消えていった投手は過去にヤマほどいる。ここが速球投手を判断する際の最大の難所なのだ。

 さて筆者の基準のその(1)は、ひたすら高めで勝負して、低めの球は使わない(使えない?)。その(2)は、9回になっても球威が衰えない(球速ではない)。その(3)は、打者が「絶好球!」と思って振っても、ボールはバットの上をいく、これらである。

 大谷は6回でバテたのだから、(2)に該当しない。まあ、経験を積み、体力がつけば、この(2)は克服できるかもしれないが、(1)と(3)には残念ながら初めから縁がないようだ。低めに落ちるスライダーを使わないと大谷のピッチングは組み立てられないし、森野をあの球速で空振りさせられなかったのだから。

 レンジャーズのダルビッシュは大投手だが、筆者は速球投手だとは思わない。いろんなボールをいろんなコース、高さに投げ分けて、フランス料理のような複雑な味わいをピッチングにもたらす、これがダルビッシュのピッチングだ。

 筆者の言う速球投手とは、これはもう味もへったくれもない、「さあ食え!」とファンの前にド〜ンと1キロのステーキを突き出すようなものだ。しかも、かなり硬そうだ。硬くて噛めないからロクに味わうこともできない。しかし、これほどボリュームたっぷりで歯ごたえ十分な食い物も他にない。とにかく速球投手というのは、「打てるなら打ってみろ!」の乱暴さがないと面白くないのである。

一番速かったと言われる山口高志氏


 筆者のイチオシは、(1)(2)(3)を完璧なまでに備えた山口高志氏(元阪急、現阪神コーチ)である。

 筆者はこのところ、昭和40年代から50年代にかけて活躍した大選手たちに話を聞いて回るのが仕事になっているが、「誰が一番速かったか」という話になると必ず山口氏の名が挙がる。『週刊ベースボール』での連載企画「“レジェンド”たちに聞け!」で門田博光氏(元南海ほか)が山口氏を語っていたし、山田久志氏(元阪急)が「高志は9回から速くなるんだからビックリしますよ」と語っている。

 この「9回から……」に関しては、何度か書いたことがあるが、また繰り返すと、山口氏は関西大2年時に大学選手権に出場したが、準決勝で法政大と対戦、延長20回を完投するという人間離れしたピッチングを見せた(試合は3対2で関西大学が勝利)。この時の山口氏が、まさにそれだった。多分、速くなったというよりは、最高スピードを9回にも維持できた(球速だけではなく、もちろん球威も)、ということなのだろう。維持できれば、「9回には疲れが出るもの」という目で見ている観客には「速くなってる!」と見えるのだろう。

 法政大の主力打者で、のちプロで首位打者になる(82年、当時大洋)長崎慶一氏(当時啓二、元大洋ほか)は「速すぎて打てっこないからヤケクソで目をつぶって振ったら、最高のタイミングでバットに当たった。さて、どうなったでしょう? バットは真っぷたつ。打球はふらふらとレフトへ(長崎氏は左打者)、ですよ」と筆者に語ったことがある。実際の話、山口氏のボールとはそういうボールだった。

高田繁氏、山口氏は「江夏より速かった」


 本塁打王にもなった(75年、当時太平洋)土井正博氏(元近鉄ほか)も「とにかく高めが速かった。そこだ、と思って振っても、当たらんのです。ああいう球は初めて。いいところへ来た、と何度もだまされてしまう」と語っている。

 山口氏はとにかく「さあ食え!」のストレート一本やり。オリックス・コーチ時代の山口氏を“パンチ”佐藤和弘氏が、こんなふうに表現したことがある。「山口さんの指導は単純明快だったなあ。困ったときの真っすぐやろ、こればっかりでした(笑)」。そりゃそうだろう。真っすぐしか投げない投手なのだから。変化球と言えば、タテにちょっと曲がるカーブだけ。ただ、指のかかり具合で、速球が、カットボール気味になることがあった。150キロのカッター! まるで元ヤンキースのリベラ並みである。まあ、かつての山口氏のボールをいまの野球ファンに見せてやりたいものである。

 山口氏が一番速いと言ったのは他に高田繁氏(現横浜DeNA・GM)、山本浩二氏(元広島)。高田氏は「江夏(豊氏、元阪神ほか)より速かった」と言った。両者とも日本シリーズでの数試合の体験が主だから、余計に印象が強かったのだろう。山口氏のボールを受けた捕手の河村健一郎氏は「捕るのが怖かった投手は山口だけだった」と語っている。

 球審では、元パ・リーグ審判部長の村田康一氏が「山口が一番速かった」と証言しているが、いろんな速球投手を見てきた球審のひと言だけに説得力がある。

 とまあ、山口高志氏だけで、かなりの行数を食ってしまったが、個人的な印象を超えてしまう“ド速球男”なのだからあえて紹介した。
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