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強豪校伝説・「名門校」強さの秘密

阪神・上本「広陵時代、甲子園より毎日の練習が印象深い」

 




高校球児が甲子園でプレーできるチャンスは5回。1年夏から3年夏までフル出場を果たしたのは、PL学園高(大阪)の桑田真澄清原和博の“KK”コンビら一握りしかいない。その中で、厳しい激戦区・広島を勝ち抜き、聖地を4度、踏み締めたのが上本博紀である。入学から4カ月後の1年夏から4季連続の偉業。今シーズンから選手会長を務める若虎が、広陵高で過ごした3年間を語る。
取材・構成=椎屋博幸 写真=石井愛子(インタビュー)、BBM

伝統校ならではの緊張感

──中学時代は卓球部だったとか。

上本 はい。必ず何かの部に入らないといけなかったので。中学の野球部はボーイズ(松永ヤンキース)に入ると入部できない決まりだったんです。それで卓球部に。何でも良かったので、籍を置いているだけで水曜と土曜、日曜に野球をやっていました。

──昔の雑誌などを見ると卓球で培った動体視力で……とありますが。

上本 それは間違いですよ(笑)。普通の中学生で夏休みは毎日、野球漬けの生活をしていました。

──野球中心の生活であれば、自然と高校は野球の名門校に入りたいと考えるようになったのでは?

上本 それが、野球はやっていましたが、高校野球、プロ野球選手にあこがれるということはなかったんです。毎日楽しく、友だちと遊びたいと思っていた少年だったので。小学生のころもJリーグが発足し、友だちが全員サッカーをやっていたので、サッカーを。小学5年生のときにソフトボールのチームに入りましたが、甲子園もあこがれではなく、どういうものかも分からない少年でした。

──その中学生がなぜ広陵に。

上本 当時の部長の堀(正和)先生に熱心に何回も誘っていただいたんです。その情熱に押されて入学しました。でも広陵が名門ということは知っていました。

──自由な生活からいきなり親元を離れ、寮生活はつらくはなかった。

上本 上下関係がない世界で暮らしてきましたので、寮のことや上下関係の厳しさにびっくりというか、圧倒されたのは覚えています。学校のしきたり自体も厳しかったので、毎日逃げ出したかったです。だけど逃げ出せる根性もなかった(笑)。

──ちなみに入寮、入部して何日目に逃げ出したいと思われました?

上本 初日です! 理不尽なことなどはまったくなかったんですが、もう緊迫した雰囲気に耐えられなくて。えらいところに来てしまった、という感じでした・・・

阪神の中心選手になった今でも、広陵時代の寮生活のインパクトは強かった

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