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強豪校伝説・「名門校」強さの秘密

全国名門校コレクション part.3

 

甲子園で幾多の名勝負を繰り広げてきた名門校を紹介する。北は北海道、南は熊本と各地の強豪からは、今夏も目が離せない
ユニフォーム写真協力=元祖野球鳥おかむら(http://www.yakyudori.jp/)


●学校創立:1978年
●創部:1979年
●住所:和歌山県和歌山市冬野2066-1
●主なOB:西川遥輝(日本ハム)、武内晋一(ヤクルト)、岡田俊哉(中日)、中谷仁(元楽天ほか)
●甲子園通算成績/通算56勝28敗
●春6回出場(通算21勝10敗)
●夏7回出場(通算35勝18敗)

少数精鋭の打ち勝つ野球

▲94年春の決勝で常総学院に打ち勝ち、甲子園初制覇



 79年創部。1学年10人の少数精鋭の方針で、甲子園3度の優勝を誇る。初出場の85年から5大会連続で初戦敗退と、厳しいスタートだった。93年夏に初勝利を挙げると、翌94年春に甲子園初優勝。指揮官は「投手を中心にした守りのチーム」を理想にしつつ、結果的には相手より1点でも多く取る強力打線で大会を制した。夏初制覇は97年。2回戦で日本文理から19点、3回戦で福岡工大付から10点を奪い、攻撃力を発揮した。準決勝の浦添商戦だけは、延長10回に値千金の1点を奪う僅差の勝利だった。

▲97年には夏初制覇。ベンチの右端には高嶋仁監督



【現役プロに聞く】高校時代の思い出
西川遥輝(日本ハム) 2008〜10年在籍



「僕が智弁和歌山に入った理由は、家から近かったからです(笑)。練習できつかったのは夏の甲子園の予選前。6月は練習試合が多いのですが、試合前に50メートル走を20から30本走ってから試合に臨むんです。暑い中で、体を追い込んでからの試合は、本当にしんどかったですね。印象深い試合は1年生で初めて出た試合。入学してすぐに公式戦に出場して、本塁打を放ったんです。たしか春の和歌山県大会は4本塁打。高校野球でいいスタートを切れたので、よく覚えています」





●学校創立:1943年
●創部:1949年
●住所:東京都板橋区稲荷台27-1
●主なOB:森本稀哲(西武)、中村晃(ソフトバンク)、杉谷拳士(日本ハム)、上野大樹(ロッテ)、吉岡雄二(元巨人ほか)、三澤興一(元巨人ほか)、奈良原浩(元西武ほか)、芝草宇宙(元日本ハムほか)、伊藤昭光(元ヤクルト)
●甲子園通算成績/通算51勝23敗
●春20回出場(通算21勝13敗)
●夏20回出場(通算30勝10敗)

縦縞ユニフォームで甲子園常連に

▲89年夏の初優勝で前田監督が甲子園の空に舞った



 72年、前田三夫が監督に就任したとき、部員は4人だった。だが、前田のスパルタ式の指導により、74年夏に東東京ベスト8、75年春は優勝と着実に力をつけていった。このころから甲子園に縁があるようにと、阪神のような縦縞のユニフォームに変更。78年春に甲子園初出場も、1回戦敗退。80年に伊藤昭光を軸にしたチームで2度目の出場を勝ち取ると、延長2戦を戦うなど、僅差の勝利で決勝まで勝ち上がり、準優勝。初優勝は89年夏。エース・吉岡雄二の力投と猛打で勝ち上がり、全国屈指の強豪に。

▲92年春はエース三澤興一を中心に勝ち上がり、決勝で東海大相模を倒し春初制覇



【現役プロに聞く】高校時代の思い出
中村晃(ソフトバンク) 2005〜07年在籍



「1学年が15人で練習がしっかりできるから帝京に進みました。だけど、入った当初はとてもきつかった。『早く1日が終わらないかな』と、毎日思っていました(笑)。ありがたかったのは、同級生に大田(阿斗里、現DeNA)、垣ヶ原(達也、現日立製作所)という2人のピッチャーがいたこと。僕も中学時代はピッチャーでしたが、2人がいたから野手に専念することができました。監督には勝負に対する心構えを教わりました。結果で示すこと、それが勝負強さにつながるんだと思います」

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