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文=小林光男(本誌編集長)

 

 内野守備、特にセカンドとショートの二遊間は特殊技術であると言える。今回の二塁手部門で3位タイにランクインした仁志敏久(巨人ほか)も「セカンドに転向していなかったら長く野球をやっていなかった」とかつて語っていた。

 1年目は社会人時代に守っていたサードを任されたが、翌年セカンドに転向。初体験のポジションで思い悩むことも多かったが、当時の土井(正三)コーチの熱心な指導もあり徐々に成長。周囲の評価も高まり、一番にも定着して仁志敏久という野球人が巨人で居場所を築くことができた。

「守りをしっかりできるようになれば、試合で使われる確率は高くなりますよね。それにセカンドやショートは、捕手のように誰もがこなせるものではない。だから定着すると寿命は長くなりますよね」

 二塁手を極めたことにより、野球人生が広がっていったが、その根幹には基本をしっかりと固めたことがある。西武などで監督を務めた広岡達朗も、その重要性を必ず説いた。緩いボールをしっかりと腰を落として、グラブを下から出して捕る。一見、プロがやる必要がないように思える練習を石毛宏典辻発彦らにも課したが、まずは当たり前のことがしっかりしていないと先へは進めないのだ。

▲二塁手を極めることで巨人で居場所を見つけた仁志(写真=BBM



 仁志もプロ3年目を迎えたあたりから、守備に関して前向きな考え方ができるようになったそうだが、それも「どういう形で捕ったり、投げたりしていいか分からなかった」ことが解消されたからだった。

「基本ができ、自信がついた。要するに完全に根が張ったんです。まずは、そうならないとしようがない。次に根から、幹が伸びて、枝が分かれて、葉が芽生えて……」

 基本ができないと応用もできない。さらに、探究心もなければ一流へは上り詰めることはできない。幸いにして、仁志は知恵を絞ることが好きだった。

「人間はみんな、何かしら考えているじゃないですか。考えて、文化ができて、いまの人間がいる。考えることはだれでもできるから、知恵を絞るに越したことはない。特に僕は体に大きいわけでもない。だから頭を使わないと勝負になりませんでした」

 大胆なポジショニングによる印象に残るプレーの数々は、その賜物だと言える。自らの可能性を追い求めて、技を磨くことで頭角を現そうとする。一流選手には共通する“性質”だろう。

 伝説的な名内野手でいえば吉田義男も同様だ。1953年の入団からショートのレギュラーとして、阪神内野陣の要となった吉田は暇さえあればグラブとボールを持って、グラブで捕ったボールを右手に持ち替える練習をしていたそうだ。“捕るが早いか、投げるが早いか”と言われた捕球から送球へのスピードはまさに飛燕の早業。その出発点は167センチという小さな体を、大男ばかりのプロ野球で生き抜くために、いかに有効に使うか、という考えからだった。守備に関しての結論はボールを捕ったら、いかに早く握って投げるか。その技を極めるために、没頭したのだった。

 元中日高木守道も「普通にアウトにできないのを、どうやったらアウトにできるか。常にそれを考えながら守っていた」という。だからこそ、ヒット性の当たりをキャッチ、ノーステップのままショートにバックトスして「4-6-3」のダブルプレーを完成させる華麗な技を完成させたのだ。

 当たり前のことだが、しっかりとした基本を身に着け、守備の面白さに気付き、そして探求し続ける。ランキングを眺めてみても感じるが、それをやり遂げた選手が並んでいるのだと思う。(文中敬称略)
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