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「猛虎、深山にある時は百獣ふるいおづ…」(平家物語)という。よくもまぁ、これだけ型破りで、野獣みたいな連中がそろったものだ。「巨人軍は紳士たれ」を鼻先でわらい飛ばしたような“猛者”たちはいつまでたっても熱い。ゼニを取れる選手がゴロゴロしてたんだ…甲子園には。
文=水本義政 写真=BBM

「お前らそんなモノで障子が破けるか?」


 どの企業にも「3種類のバカ」がいる。

1.『真正バカ』――いわゆる宴会などで裸踊りなどを率先してやって、自分が「職場の緩衝材」と大いに役立っていると思っているヤツ。

2.『疑似バカ』――実はオレが職場でバカを演じているのは人の目を欺くためなんだと自分に言い聞かせ、無理をするヤツ。

3.『芝居バカ』――いつの間にか職場でそういうキャラだとみんなから思われて、仕方なくそのフリをしているヤツ。

 これはほとんどの職場に存在するが、最も手ごわいのはそのどれでもない。第四のバカ? の存在なのだ。

 それは『愚直なまでに本気でやるバカ』のことだ。

 タイガースにはその“第四のバカ”が次々と出現し、ファンを魅了し、グラウンドでドジを踏み、涙し、失敗してもへこたれず、それでいて、物すごくタフで、オツにすました巨人をとことん脅かし、多くの庶民に「ひたむきに生きる」というパッションを与えたのである。こんなワイルドなチームってタイガースのほかにあるか?

 まず言わずと知れたミスターT藤村富美男。今から思うと藤浪晋太郎が197センチ、鳥谷敬が180センチだが、彼は174センチしかない。なのにイメージとしては鳥谷よりデカイし、藤浪よりドシッとしているし、179センチの江夏豊とほとんど変わらない印象が強い。

 物干しざおと呼ばれた長尺バットをブン回し、イチロー(現ヤンキース)でさえ「藤村富美男のシーズンヒット記録(191安打)を目標」とした強打者。その武勇伝は枚挙にいとまがない。

 1948(昭和23)年10月3日、甲子園での“恐怖の逆転サヨナラ爆走”。1点ビハインドで9回二死、土井垣武のヒットで二塁から別当薫がかえり同点。ところが一塁から藤村までがドタドタとホームへ。これは明らかな「暴走」だ。返球が巨人の捕手・武宮敏明のミットに収まったときは、藤村はまだホーム手前5メートル。ところがそこから藤村は猛然と武宮にフライング・タックルをかまして武宮は脳しんとう。そのまんま救急車で病院に運ばれた。「セーフ!」猛然たる砂塵の中で藤村はサヨナラのホームに立っていた。

 このときから彼は『猛虎』と呼ばれ、それがタイガースの伝統的なニックネームにまでなったのだ。

▲藤村富美男



 ついでに紹介しておきたいのは56(昭和31)年4月17日、甲子園の国鉄戦の試合後、その当時はビジター用風呂場が工事中で国鉄側もホームの風呂にやってきた。つまり呉越同舟で風呂に入る。そこで藤村は国鉄選手に向かって「お前らそこに並べ」と若手連中を整列させた。金田正一田代照勝佐藤孝夫町田行彦…がスッポンポンで並んだ。ジロリと一瞥した藤村は「お前らそんなモノで障子が破けるか?」とカツを入れたという。天下の金田正一に『太陽の季節』みたいなハッパをかけた藤村のこのエピソードはいまだに語り草である。

「何でや。オレは命がけで投げとるんや」


 この藤村が一目も二目も置いたのが松木謙治郎。巨人勢がつけたニックネームは「仁木弾正」。歌舞伎の芝居でセリから上がってくる“大悪党”だが、実は正義を貫いた男。打倒・沢村栄治に燃え、今でいう投手を数メートル前から全力投球させる特別練習(特訓)を日本で最初にチームにやらせた。おかげですぐ、打倒・沢村にタイガースは成功したほどだ。

 酒仙投手といわれ、今でも宇治山田の球場正面に沢村と並び胸像が立つ西村幸生は巨人戦の当日の朝まで・・・

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