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森脇監督とともに終始笑顔で入団会見に臨んだ中島。地元・関西で再スタートを切る



メジャー・リーグ挑戦のため海を渡ったのが2013年。アスレチックスでマイナー契約からの昇格を目指していたが、あこがれのメジャーでプレーする夢は叶わなかった。3年ぶりに日本球界復帰を果たした中島裕之は、オリックスで1996年以来のVを目指す――。
文=柄谷雅紀(共同通信) 写真=石井愛子

14年の時を経て幼なじみと立つ舞台


 オリックス入団を後押ししたのは、幼なじみからの電話だった。「来年どうすんの? 一緒にやろうや」

 アメリカで2A暮らしが続く中島裕之に、オリックスの山崎勝己から何度か電話があった。

 同じ兵庫県伊丹市出身の2人は、幼なじみだ。実家は「歩いて2、3分の距離」(山崎)。伊丹市立桜台小学校時代には、中島が投手、山崎が捕手でバッテリーを組み、全国大会に出場したこともある。

 中島は地元の伊丹北高。山崎は名門の報徳学園高。別々の高校に進んだが、「家が近所だったから、高校のときも遊んでいました」と山崎は言う。卒業後の2001年、中島は西武、山崎はダイエーに入団。そして12年オフ、中島はFAでアスレチックスへ。その1年後、今度は山崎がFAでオリックスに移籍した。

 運命とは不思議なものだ。プロ入りから14年の時を経て、今オフ、2人はチームメートとなった。32歳になった今も、「カツキ」「ヒロ」と互いを呼び合う。「小さいころからずっと一緒だった。プロでやれることは、そうあることじゃない。決める上で大きかった」。中島は、山崎の存在をこう語った。「ご報告があります。一緒にやります」。山崎は、中島がチームメートになることを発表の前夜に電話で知らされた。「小さいころから一緒にやってきて、まさかプロでできるとは。今はただただうれしい。頼りになるヤツなので、チームメートとしてはありがたい」。幼なじみとプロの舞台で、再び一緒にプレーできることを楽しみにしている。

強い決意を持って臨む再起を懸けた挑戦


背番号は1に決定。豊富な経験を生かしオリックスを優勝へと導く



 中島にとって3年ぶりの日本球界復帰だ。アメリカでの2年間は、苦汁をなめ続けた・・・

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