一見、頼りなく映るが、マウンドに立てば一変する。2013年、前橋育英高2年時に夏の甲子園を制した右腕がドラフト1位で西武に入団した。球場の小高い丘に立つとスイッチが入り、強気に打者と対峙するピッチングはどのように磨かれてきたのか。群馬の地で育った逸材。その原風景とは――。 文=伊藤寿学(朝日ぐんま) 写真=BBM 野球以外でも運動センスを披露する「原石」
中学2年までは田舎の無名投手だった。
「『高橋』というガタイのいいピッチャーが利根(沼田市利根町)の山間部にいる」。
中学3年になったとき、そんな噂が群馬県内の高校野球関係者の間でささやかれ始めた。
季節が進み高校関係者と中学側との接触が解禁されるや否や、名将と呼ばれる群馬県下の監督たちが、こぞって中学へと足を運んだ。キャッチボールの球筋を見ただけで、天賦に惚れ込んだ指導者もいたという。
「とてつもないピッチャーになる可能性を秘めている」
「大学経由ではなく高校でドラフト指名されるだろう」
180センチを優に超える体躯と、しなやかな身のこなしに、名将たちが賛辞を寄せた。父・義行さんは「中学の時点でまさかここまでの評価をもらえるとは考えてもみなかった」と驚きを隠さなかった。
中学3年で球速130キロ。高跳びで県大会へ出場するなど野球以外でも抜群の運動センスを披露する「原石」のもとには、最終的に甲子園の常連校など県下強豪6校から声がかかった。そして、その中から同年春にセンバツ初出場を決め甲子園初出場を果たした新鋭・前橋育英を選んだ。
実績だけを考えればほかの選択肢はあったが自身の意志で決断を下したという。
高橋光成は「自分が一番成長できる環境だと思った」と話したが、その選択は間違っていなかった。
高橋が育った沼田市利根町という場所は、群馬県の北東部の山間集落で、町の約8割は山林。幹線道路を北へと進めばスキー場が林立するスノーエリアへと辿り着き、冬の間は地表が雪で覆われる。「『光』って大『成』してほしい」(父・義行さん)。祖父・光政の「光」、姉・かずなの「な」の二文字を使い、光成(こうな)と名付けられた少年は、澄んだ水をたたえる川のせせらぎを聞きながらのびのびと育った・・・
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