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15年和田阪神は2度目の日本一を掴めるのか!?

 

やはり80周年の節目の今季、リーグ優勝、そして日本一にならないと、何の意味もなさない。開幕して約1カ月経ったが、今季の和田虎の日本一の可能性を探っていく――。

85年の日本一のときは、ルーキーの年だった和田監督。そのときのチームが今のチーム作りの根底にあり、30年ぶりの日本一を目指していく



85年の強固な守備をモデルにチーム強化へ


 阪神の第32代監督に就任して間もなくのことだった。和田豊はOBが集った酒席であいさつの機会を与えられた。神戸市内の旅館の座敷には吉田義男岡田彰布真弓明信ら歴代の指揮官も並んでいる。先輩たちへの所信表明は、自身が新人だった1985年の話題となった。

「あのチームはバックスクリーン3連発など、強打がクローズアップされていました。でも実は内外野の守備が強固なチームと記憶しています。当時のような守りの野球ができればと考えています」

 22歳のベンチ要員に過ぎなかった和田にとって、日本一のレギュラー戦士は強烈な輝きを放っていた。

 日大4年だった84年夏、和田はロス五輪の日本代表に選ばれ、金メダルを獲得した。その年のドラフト3位で阪神に入団。即戦力の期待を寄せられていたが、現実は厳しかった。

「2月のキャンプ初日に『とんでもないところに来てしまったな』と。打撃では前に飛ばない。守備には自信があったけど、当時の内野は掛布(雅之)さん、岡田さん、平田(勝男)さん。とても敵わなかった」

 主力の底力に面食らったが、それも当然である。チームはこの年に球団史上初の日本一を成し遂げ、木戸(克彦)、岡田、掛布、平田がダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)を獲得した。外野陣も真弓、北村照文吉竹春樹ら俊足がそろい、甲子園の天然芝を走り回っていた。

 自身のプロ人生のスタートに高くそびえ立った壁の存在は、そのまま理想のチーム像として、今も和田の脳裏に焼きついているのだ。

「甲子園はやっぱり・・・

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