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特集・世界を驚愕させた“超絶”球児

清宮幸太郎 不完全燃焼に終わった四番

 

取材・文=岡本朋祐



 ようやく長い夏休みが終わった。振り返れば、西東京大会初戦(3回戦、対東大和南)は前期終業式翌日の7月18日。後期始業式の9月5日は、U-18ワールドカップのスーパーラウンド最終戦(対キューバ)を甲子園で戦っていた。1年生で唯一の侍ジャパン入り。清宮幸太郎は最もハードな日程を消化した球児だ。

 仙台育英(宮城)との甲子園準決勝で敗退(0対7)したのが8月19日。高校日本代表の集合は22日となっていたが、4強進出校に限っては、1日遅れの23日に設定されていた。早実は20日に帰京し、21日に新チームの練習が始動。清宮は22日には再び大阪入りし、“オフ返上”でチームに合流したことになる。

 怪物スラッガーとはいえ、まだ16歳。正確には西東京大会初戦は2日間雨天中止となり、7月16日からほぼ切れ目なく、報道陣、ファンらから脚光を浴びる生活を送ってきた。春の東京大会ですでに「こういう環境でやっていかないといけない人間だと分かっている」と、スターを自覚する発言。この現実を“宿命”と受け止めつつも、知らずのうちに疲労が蓄積していたのは明らかだった。

 侍ジャパンのスタートも幸先良かった。「四番・DH」で出場した26日の大学日本代表との壮行試合(甲子園)で、来年のドラフトの超目玉である創価大・田中正義(3年・創価)から適時打。金属から木製バットへ持ち替えても、変わらないパワーとうまさを見せつけた。しかし、本大会に入ると、高校入学以来、初のスランプに陥る。一次ラウンド第2戦(対米国)では、高校デビューした春の都大会3回戦から続いていた、公式戦連続安打が15試合でストップ。翌第3戦のオーストラリア戦では、第1戦(対ブラジル)以来となる10打席ぶりの安打を放つが、上昇の気配はない。第4戦では(対チェコ)で左ヒザの違和感を訴え途中交代すると、翌日のメキシコ戦は欠場。チームが5戦全勝でスーパーラウンド進出を決める中、1年生四番は12打数2安打(2打点)と不振だった。

 予備日となった9月2日の練習日。打撃練習でも調子が上がらず、気のない声を出した清宮を、西谷浩一監督(大阪桐蔭)は見逃さない。練習後、先発復帰の可能性を問われた指揮官はこう説明した。

「本人はボヤキながら打っていましたね(苦笑)。四番に座るには、心と体を充実させないといけない。使うなら四番。四番に置くことで、三番(東海大菅生・勝俣翔貴)、五番(仙台育英・平沢大河)を配置しやすい理想の打線となる」

 期待の裏返し。翌3日のスーパーラウンド初戦(対カナダ)で四番復帰したが、3打数無安打。この日までは舞洲ベースボールスタジアムが会場。実は同球場は清宮の“鬼門”だった。調布シニアに在籍した中学3年時に選抜大会出場も、腰の故障で欠場した苦い過去があった。

 甲子園に戻った4日、清宮は水を得た魚のように躍動した。韓国戦で今大会初のマルチ安打を放ち、決勝進出に貢献。5日のキューバ戦でも左腕投手から第1打席は変化球にタイミングが合わず空振り三振も、第2打席ではその変化球に対応し右前打と、修正した。甲子園という雰囲気が力を貸してくれたのと同時に、不慣れだったDHにも「リズムが分かってきた」ことも好作用した。

「打てなくて守備(一塁)で気持ちを切り替えていたのをベンチでは悔しさを置いて、声を出して発散する」

 米国との決勝。清宮は4打数1安打。6回には痛みが残る左ヒザを押し、意地の二塁内野安打を放ったが、9回は先頭も遊飛に終わっている。

「何も貢献できす、ケガもしたし、迷惑をかけてばかりで申し訳ないです。四番が打てないとこういう結果になる。責任を感じています」

 1年生の夏休みを“満喫”した清宮も、甲子園で再び悔し涙を流した。7日に帰京後、休む間もなく秋の都大会一次予選が12日にスタートした。

「前々から決まっていたこと。どんなコンディションでもチームのために尽くす。早実でセンバツを目指す」

PROFILE
きよみや・こうたろう● 1999年5月25日生まれ。184cm97kg。右投左打。早実初等部4年時から東京北砂リトルで野球を始め、早実中等部1年夏に世界選手権に出場し三番・投手として、12打数8安打、3本塁打、6打点で世界一。その後、調布シニアに在籍し一塁手に専念。早実では1年春から三番・一塁に定着。父・克幸さんはラグビーのトップリーグ・ヤマハ発動機監督。今夏の甲子園では桑田真澄(PL学園)以来となる1年生で2本塁打を放った。
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