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130試合で210安打!イチローの異次元の打撃

 

年間200安打の難しさとすごさを野球ファンに認知させたのは1994年にイチロー(当時オリックス)が210安打を放ってからだ。そこから200安打を打つ打者が増えてきたが、実は試合数も増えている。だがイチローは130試合で210安打。プロ野球界の常識を変えてしまうほどだった。その当時のすさまじさに迫る。



往年の名選手たちを回想させる安打を放ち


 まぐれでヒットは出てもホームランは打てない。野球の世界でよく聞く言葉だ。「本塁打は野球の華」とも言われる。王貞治(現ソフトバンク会長)を筆頭にプロ野球の世界で、常に本塁打がその優位を誇ってきた。

 そんな常識の中で、より多くのヒットを打つことに魅力を与え、その意味を高めたのがこの10月で42歳になる今もなおメジャー・リーガーとして君臨する本名・鈴木一朗、そうイチロー、その人だ(現マーリンズ)。

 1994年に日本プロ野球史上初めて200安打をマークし、新たな価値観を与えたイチローがいなければ、安打数にこれだけ注目が集まることはなかったかもしれない。

 実際にNPBの連盟表彰に「最多安打」が加わったのは、この94年オフから。イチローの登場は表彰する対象までを変えてしまった。

 愛工大名電高を卒業し、オリックス・ブルーウェーブに入団してから3年目。高校時代に甲子園大会に出場しているとはいえ、よほどの野球通、あるいはオリックスファンでなければ名前すら聞いたことがないであろう若者が、すい星のごとく世の中にその名を知らしめることになったのは、まさにヒットによるものだ。バット1本、作り物ではない個の力で一気に世間の耳目を集めたイチローの存在はまさに「スター」というにふさわしかった。

 オリックスにすごいヤツがいる……。ファンの間でそんな噂が流れ始めたのは94年の5月ごろだった。

「オリックスのイチローってヤツがすごいぞ」「何がすごいのか。なぜ(登録名が)カタカナなんだ?」「とにかくよくヒットを打つらしい」「そうなのか。観に行こう。本当に打つんだな」「おい、また打ったぞ。どうなっているんだ……」

 当時、イチローに興味を持った人の感覚はそんなモノだった。

 このシーズン前にイチローは「イチロー」になっていた。この年、鈴木一朗のまま、オープン戦で活躍。当時、セ・リーグに比べ、人気面で押されていたパ・リーグが制定していた「花のパ・リーグ大賞」に選ばれた。

 これを受け、この年からオリックスの指揮官となった仰木彬は「改名」を決断する。発案者は今季、広島で打撃コーチを務める新井宏昌だった。自身、安打製造機だった新井は、イチローの非凡さにいち早く気づく。腕は間違いないのだから、あとは話題性だ。「パ・リーグの広報部長」の異名を取った仰木はその案を即採用。94年開幕から、「イチロー」は誕生した・・・

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