週刊ベースボールONLINE

特集・新生スワローズ14年ぶりV

特別寄稿 「おめでとう真中ヤクルト!そして“11度目”へ」

 

文◎長谷川晶一[ノンフィクション・ライター]



 初めてヤクルトの胴上げシーンを生で見たのは野村克也監督時代の1992(平成4)年10月10日、甲子園球場でのことだった。78(昭和53)年以来、実に14年ぶりの優勝で、このとき僕は22歳、翌年には就職活動を控えた大学3年生だった。

 以来、翌93年、95年、97年、そして若松勉監督率いる01年。リーグ優勝、そして日本シリーズでの胴上げを一ファンとして球場からすべて観戦。計9回、歓喜の涙を流した。(節目となる10回目の胴上げはいつになるのだろう?)

 そう思い続けて14年が経ち、そして今秋、ついにチャンスが訪れた。しかし、ようやくマジックが点灯し、優勝が現実のものになったとき、僕はどうしても外せない取材があり、ドイツ・ベルリンに滞在していた。帰国は10月2日。「たぶん、その数日前に優勝は決まってしまうだろう」と考え、「生胴上げ」はあきらめていた。

 若い選手の多いヤクルトがプレッシャーに押し潰されて足踏み状態が続き、なおかつ巨人が勝ち続ければ、3日の広島戦(マツダスタジアム)、4日の巨人戦(東京ドーム)に優勝争いが持ち越されることもあるかもしれない。でも、その可能性は低いと思っていたし、すんなりと優勝を決めてほしいと願っていた。

 しかし、その一方でこんなことも思っていた。「9月29、30日、そして10月1日の神宮3連戦のうち2試合が雨天中止になれば、胴上げ場面が見られるかも?」、と。もちろん、「そんな奇跡は起きないよな」という思いの方が勝っていたけれど……。

 しかし、その「奇跡」が起きた。マジック1で迎えた10月1日、ヤクルト対阪神が試合前に雨天中止になった。そして、その後すぐに横浜スタジアムでの横浜対巨人戦の中止が決まった。快晴のベルリンからは荒天の東京、横浜の様子は想像もできなかったけれど、爆弾型低気圧によって、関東地方は大荒れだったらしい。

 僕は慌てて2日の予定を確認する。帰国便の到着は13時40分成田空港着。これなら十分、神宮に駆けつけることができる。このときにはすでに3日の広島戦のチケットも入手していた。4日の東京ドームのチケットは事前に購入していた。これで、ヤクルトの残り3試合、すべての試合を観戦できる。巨人の怒涛の逆転劇、あるいはヤクルトの悲惨な自滅劇さえなければ、僕にとって10度目の胴上げシーンが見られるはずだ。

 迎えた当日、神宮球場は快晴だった。ベルリンからフランクフルトを経由して、そして日本まで、およそ15時間のロングフライトに体はヘロヘロになっていたけれど、それでも気分は高揚していた。

 延長11回――。

 雄平の一打がライト線に転がった瞬間、10度目の胴上げシーンが現実のものとなった。宙を舞うのは僕と同学年の真中満監督。現役引退時に、彼にインタビューをして短い物語を紡いだ。同級生の引退に感傷的な思いを抱いた記憶がある。あれから7年、同級生監督は就任初年度で、前年最下位チームを見事に優勝に導いた。あらためて、彼にインタビューをして物語を書いてみたい。そんな願いを持ちながら、僕はすでに2週間後に迫った「11度目」、11月1日の「12度目の胴上げ」に期待をしているのだ。

 おめでとう、真中ヤクルト!

PROFILE
はせがわ・しょういち●1970年5月13日、東京生まれ。ノンフィクション・ライター。“女子野球評論家”として、本誌『女子野球ジャーナル』でお馴染み。ヤクルトファン歴35年で、好きな選手は小さな大打者・若松勉氏。来春、歴代OB・現役選手たちにインタビューをし、これを一冊にまとめる「哀愁のスワローズ全史(仮)」を刊行予定。
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