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特集・2016年 栄光のドライチ
かつての甲子園優勝ドライチ左腕・正田樹が野球を続ける理由

 

1999年夏の甲子園優勝投手正田樹、02年のパ・リーグ新人王。輝かしい実績を誇る00年の“ドライチ”だが、NPBで2度、台湾でも2度の戦力外を受けてきた。今年11月に行われたトライアウトに参加するも獲得球団はゼロ。それでもなお、熱き思いを持ち続ける左腕が、野球を続ける理由とは――。
取材・文=鶴田成秀、写真=田中慎一郎

フォークが物語る野球への熱い思い


 厳しい現実を突きつけられても、野球への情熱が消えることはなかった。2008年の阪神時代、13年のヤクルト時代と2度の戦力外通告を受けてもなお、独立リーグ・四国ILの愛媛マンダリンパイレーツで現役を続ける正田樹。そんな左腕がプレーし続ける理由を体現していたのが、今年のNPB12球団合同トライアウトで投じた“フォーク”だ。

「今年の後期が始まった8月から投げ始めたボールなんです。前期が終わった6月にアメリカに行って、自分で考えて取り組み始めました。『空振りが取れて投球の幅が広がる』というのが目的です。配球を考えたときにも、ウイニングショットが欲しかったですから。もちろんブルペンで投げ込みましたが、シート打撃などで打者に対して多く投げることを意識しました。いくらブルペンで、うまく落ちても打者の反応が一番大事。振ってくれるのか、見極められるのか。だから後期から実戦で試しながら、感覚をつかんでいきました。最初はツーナッシングとか余裕のある状況だけでしたけど、今では自分の持ち球で一番のボールです」

 大きくタテに割れるカーブを武器とする左腕は「自分は体が打者方向に折れるように体をタテに使うフォーム。だから、タテのカーブも投げられるし、タテに腕を振るフォークが投げやすいと思ったんです」と、自らのフォームを考えての新球習得だったと明かす。結果、今季は13試合に登板して7勝3敗、防御率0.74。年間MVPも受賞した。

 実は日本ハム時代に習得を試みるも「あのときは感覚がつかめなくて。思ったところに投げられず、まったく操れなかった」と失敗に終わっている。それが34歳となった今年は、わずか数カ月でマスター。苦い経験が、それを可能にさせた。

「阪神をクビになったとき『与えられた練習はしていたけど、自分の考えがハッキリしていなかった』と思ったんです。目的意識が低かった。制球にしても『安定させよう』という意識を持っていただけ。今思うと、投げ急いで体が打者方向に突っ込んでいた。そこを修正する意識で練習するべきだったんです」



 何のための練習か。意識を高めたことが、新球種習得にもつながった。“戦力外”を機に情熱は消えるどころか増す一方だった・・・

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