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特集・2016 新背番号に込めた決意
日米で意味が違う「42」?背番号にまつわる小ネタ集

 

背番号に対する思い入れは人それぞれ。番号に関する意味合いもチームによって異なる。ここでは、選手が背負う数字にまつわるエピソードをまとめてみた。

ルーキー時代から60番台を貫く男たち


西武の主砲・中村剛也は「60」を背負っている



ロッテの角中の背番号は入団当初から「61」で変わらず



 イチローオリックス時代に「51」を貫いたことで、背番号を変更しないことが一つの潮流になったのかもしれない。最近では、主力クラスになっても大きい背番号を変えない選手が数多くいる。その代表格とも言えるのが、おかわり君こと西武の主砲・中村剛也の「60」。また、ロッテの角中勝也は首位打者を獲得してからもずっと「61」のままだ。この番号つながりで言えば、昨季に10勝を挙げてブレークした中日の若き右腕・若松駿太。「(亡くなったスカウトの)渡辺(麿史)さんに選んでもらった番号。簡単には手放せない」と決意を語る。

クルクル猫の目?変わり続ける背番号




森野は背番号が6回替わり、現在の「7」に至る



 同じ番号を長く着ける選手がいれば、本人の意向ではないかもしれないが、背番号をコロコロ変える選手もいる。現在の球界では中日・森野将彦が後者に該当するだろう。プロ1年目は「7」だったが、4年目に早くも1つ大きい「8」に変わると、翌年にその倍の「16」に。04年に再び「8」に戻ったが、2年後にはあこがれの掛布雅之が着けていた「31」に変わる。09年オフにはこの年限りで現役引退した立浪和義が着けていた「3」の継承を打診されるも、これを辞退。「31」はほかの選手が着けることが決まっていたため、「30」となる。14年からは「7」を着けているが、引退時にはいったい何番を……。

声援は貴重な戦力!ファンの番号が存在


楽天のマスコット、クラッチの背番号には意味があった



 ロッテの背番号26はファンの番号として準永久欠番。05年にバレンタイン監督が「ベンチ入り25人に次ぐ番号」ということで「26」に決めた。このユニフォームはベンチに飾られ、ヒーローインタビューの際に監督、選手たちが応援席に向かって掲げるシーンも名物となった。それに対し、楽天は球団創設の05年から「10」が永久欠番に定められている。こちらはグラウンドに立つ9人に続く10番目の選手という意味。ファンを代表してこの番号を背負っているのは球団マスコットのクラッチだ。愛らしい姿でスタジアムを盛り上げる。

「42」は縁起が悪い?日米で違う背番号の解釈


敬遠されがちのこの番号。助っ人が背負うことが多い



「42」という数字は、日本人としては避けがちな不吉な意味合いがある。ホテルの部屋番号にも使用されないほどだ。ただ、外国人選手にとっては、特別に意味のある番号となる。メジャー・リーグで初めて黒人選手として契約を結んだジャッキー・ロビンソン(ドジャース)が背負っていた番号だからだ。その功績を称え、メジャー・デビューから50年目となる97年に「42」が全球団共通の永久欠番となった。現在、日本球界ではオリックスのブランコらが着けているが、日本人は少数。かつては下柳剛日本ハムから阪神に移籍した後、03年から9シーズン着けた。現在はソフトバンク飯田優也、ロッテの香月良仁がこの番号だ。

隠れて見えない!背番号変更のワケ


谷繁はルーキー時代、「1」を着けていた



 ドライチで大洋に入団した谷繁元信。与えられた「1」は前年まで球団の顔だった山下大輔が着けており、大きな期待の表れとも言えた。ただ、捕手の番号としては少々難があった。プロテクターを装着すると、背中のストラップで隠れてしまうのだ。かつてこの番号を背負っていた指揮官・近藤昭仁の提案もあり「8」に変更となる。そして球団名が「横浜ベイスターズ」となった後の98年、正捕手としてリーグ優勝、日本一に貢献。中日移籍後にまず「7」を着けたが、「捕手らしい番号に」との落合博満監督の考えで「27」に。

まさにお約束!語呂合わせの背番号


登録名をサブローにした時点で、背番号は決まっていた?



 95年ドラフト1位でロッテに入団した大村三郎。ちょうどチームに同姓の大村巌がいたことと、オリックスのイチローが本名の鈴木一朗から登録名を変更したのを機に大ブレークしたこともあり、登録名をサブローに決めた。こうなると背番号はもう、語呂合わせの「36」しかない。ただ、この番号を着けたのはわずか2シーズンのみ。97年からは「2」となった。そして04年には自らの代名詞となる「3」に。11年途中に巨人へ移籍したが、球団内のゴタゴタを経て同年オフにロッテ復帰。「3」はトレード相手だった工藤隆人の手に渡っていたが、サブローの元に戻り、工藤は「25」を着けることになった。

【アマチュア編】数字に表れぬ重み、大学野球の「主将番号」


13年の「大学野球キャプテン座談会」にて。左から法大・河合、九州共立大・大瀬良、亜大・嶺井



 全国26大学野球連盟において、主将は背番号「10」と「1」で二分している。圧倒的多数(20)を占めるのは「10」。日本最古の大学リーグ・東京六大学は59年春に背番号制がスタート。この時点で監督の「30」と主将の「10」が加盟6校で統一された。一方、東都大学は55年秋から背番号が採用されているが、主将番号は93年まで各校に一任されていた。そして94年春から「1」に統一される。関西の5連盟もすべて「1」で、広島・大瀬良がいた九州共立大は福岡六大学で、主将番号は「10」。いずれにせよ各大学の主将は、単なる数字でない重責も背負うことになる。
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