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特集・鉄壁のリリーフ

昔はどんな雰囲気?「ブルペン事情」を辻恭彦が語る

 

リリーバーたちの逸話から少し離れ、かつて阪神、大洋の捕手として江夏豊斉藤明夫(現・齊藤明雄)、遠藤一彦らに絶大な信頼を受けた“ダンプ”こと辻恭彦氏に、捕手の視点からかつての「ブルペン事情」を語ってもらった。

阪神時代は江夏[右]に外角低めの重要さをたたき込んだ


 専門のブルペンキャッチャーは、たぶん昭和40年代の後半からだと思います。昔はベンチ入りのキャッチャーの中で試合に出ないヤツがやる。僕は1年目の夏(63年)に上がって3年ほど1人でやってました。

 当時、甲子園のブルペンはラッキーゾーンの中にあって、時々、ワンバウンドの球が弾んで客に当たり、怒鳴られた(笑)。かなり暗かったんで、たまに負け試合とかで代打に出ると、ボールがぼや〜んと大きく見えました。それでも当たらんけど(笑)。

 球はたくさん受けましたよ。練習前に先発のあがりの人の球を受けて、そこから先発を受けて、2番手を受けて、5回くらいに一度休憩して、その後、ほかの6、7人。最低でも400球、多いときは500球以上。キャンプはもっとです。それが毎日毎日。でも、不思議と嫌だとは思わなかった。試合に出たいとか全然思わず、受けてました。たぶん、バカだったんでしょうね(笑)。いま思えば、この3年間で僕のキャッチング技術や観察眼が磨かれたし、財産となった時期ですね。それよりきつかったのが、打撃練習の捕手。40分くらいずっとしゃがんでなきゃいけないでしょ。あまりにきついんでイスを作ってもらった。僕が第1号かもしれないですね。ほかの球場じゃ見たことなかったから。

 僕はブルペンで、投手の後ろに格子模様をイメージしていました。いい投手は、みんな・・・

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