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特集・イチローが刻む安打伝説

オリックス時代の盟友・本西厚博が語る天才打者・イチローの素顔

 

メジャー通算3000安打以前に日本で1278安打をマークし、海を渡る2000年まで7年連続で首位打者を獲得したイチロー。その類まれな打撃を目の当たりにしたオリックス時代の盟友・本西厚博氏が、“天才打者”の素顔を語る。
取材・構成=鶴田成秀、写真=BBM


“芯の強さ”と“環境”で振り子打法が生まれた


 イチローのプロ2年目、1993年だったと思うわ。初めて一軍キャンプに来た彼を見たときの印象をよく覚えているよ。「ものすごく体が硬いヤツだな〜」と(笑)。第一印象はそうなんよ。「なんじゃ、コイツ!」と思ったもんよ(笑)。腹筋をやらせても、全然、回数をこなせないし「まだまだ高校生やな〜」っという感じだった。今は体が柔らかい印象があるでしょ?それはトレーニングの賜物。トレーナーをつけたり、日々ストレッチを欠かさなかったり。その努力が今の彼を作り上げたんだと思うわ。

 ただ、技術は当時から人とは違うものがあった。打撃練習を見ていたら「スゲーなコイツ」って思ったもんだよ。どんなボールに対しても反応できていた。体格は、まだ高校生という感じだったから、パワーはなくて、飛距離はなかったけど、ボールをとらえる技術は高かった。幼いときから重ねてきたスイング数と、その感覚が備わっている感じが見て取れたな。こなしてきた練習量の多さがヒシヒシと伝わってきた。

 みんなイチローを「天才」と呼ぶけど、俺はそう思っていないんよね。だって、プロに入ってからも、ナイターの試合が終わった後、選手寮に帰ってから、寮に併設されている室内練習場で夜遅くまでマシンを相手に一人で淡々と打撃練習をしていたんだから。

 当時のオリックスの選手を含め、12球団の選手は野球が好きでプロに入った集まり。でも、今になって思うと、野球に対する“姿勢”“追求心”は、誰一人として彼には勝てていなかったと思う。天才は、天才でも、「努力の天才」なんよ。

 本当に努力を惜しまない。だからこそ、プロ1年目に、長く二軍生活を送れたのが良かったんじゃないかと思っている。あれだけの素質があるから、当然「一軍で」という声もあったと思うんよ。でも、当時はステップ幅が広くて、一軍投手の140キロ台のボールに差し込まれる傾向にあった。そこで・・・

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