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優勝間近!広島カープ大特集

「カープ」じゃなかった時期がある!? “カープクイズ歴史編”に挑戦!

 

悲願の優勝に向けて走る広島カープ。近年は“カープ女子”の登場などで、すっかり客席も若返った。もしかしたらいまのカープは好きだが、過去については興味がないという人も多いかもしれない。ここではカープの長い歴史をクイズ形式で紹介していきたい。


Q1.ニックネームが「カープ」じゃなかった時期があります。そのときは、なんだったのでしょう?
Q2.初代監督・石本秀一は試合中ベンチにいないことが多かった。どこにいたのでしょう?
Q3.75年の初優勝イヤー、指揮を執ったのは監督代行を入れて3人。全員の名前を知っていますか?
Q4.“江夏の21球”は有名だが、これは9回のみの球数。実際には何球を投げたのでしょう?
Q5.91年の優勝イヤー、祝勝会のビール掛けはどこでやったでしょう?


Q1.ニックネームが「カープ」じゃなかった時期があります。そのときは、なんだったのでしょう?
A1.広島カープス

「カープス」と複数形だった時期がある。まずは49年9月28日付の中国新聞で「チーム名は“鯉”」という見出しで記事が載り、鯉にはカープのルビが振られていたが、2日後の新聞には「“カープス”中央リーグ(※セントラル・リーグを指す)入り」とある。ジャイアンツなど、ほかのチームにならってであろう。大学関係者などから「CARPは複数形にならない」と指摘があり、すぐカープに戻したが、翌年、平和台球場での開幕戦の際、入場行進のプラカードは「廣島カープス」。当時はその程度で、あまり気にしてなかったのだろう。鯉は市内を流れる太田川が名産地で流域にある広島城は「鯉城」とも言われている。

 ちなみに案はほかに「レインボーズ(虹)」「アトムズ(原爆)」「ブラックベア(黒熊)」「ピジョン(鳩)」などがあった。アトムズは被爆地・広島のニックネームとしては無神経過ぎるようにも思うが、“ノーモア広島”を発信するためと、意外に有力だったらしい。

Q2.初代監督・石本秀一は試合中ベンチにいないことが多かった。どこにいたのでしょう?
A2.スタンドや球場入口

樽募金風景


 広島の初代監督となったのが、石本秀一。戦前は広島商監督として日本刀の“刃渡り”などで精神面を鍛え上げ、黄金時代を築き上げた男だ。広島は自治体の支援を軸とし、親会社のない市民球団としてスタートしたため、当初は資金難に苦しんだ。1年目の終わり51年シーズン前には給料の支払いの遅れもあって、連盟からチームの解散、大洋との合併を勧められ、ほぼ決まりかけたが、これを知った広島の県民、市民が集まって「われわれが力になる、面倒をみる、カネも出す」と県、市、中国新聞などへ押し寄せて涙ながらに訴え、連盟も存続を認めることになった・・・

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