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特集・広島感涙V!

広島V特別コラム『寡黙な男は、勝ったときだけ饒舌になる』

 


広島の、全国のファンの皆さん。お待たせしました。おめでとうございます!」

 両手を挙げ、大きく口を開けて絶叫。東京ドームを赤く染めた広島ファンから大歓声が起こった。普段は寡黙。おそらく、人前で、こんなに大きな声を出したことはなかったのではないか。47歳の指揮官の語り口調からは、実直さとともに、初々しさも感じられた。

 V決定の9月10日、試合中は決定直前までベンチの奥で腰をかけ、表情は引き締まったままだった。「最後まで何があるか分からないから」と試合後の緒方孝市監督。決して気を緩めぬ姿勢は、現役時代に貫いたプレースタイルでもある。

 87年に鳥栖高から広島入団。25年前の優勝、91年は初めて100試合超えを果たしたシーズンだが、主に代走、守備固めだった。その後は故障もあって、なかなか出場機会を増やせなかったが、95年にスタメンに定着すると3年連続盗塁王。攻守走の三拍子がそろい、しかも長打力を併せ持つマルチプレーヤーとして注目された。FA権を手にしたときは巨人長嶋茂雄監督(当時)が獲得に動いたと言われるが、結局、宣言せずに残留。それは「広島で優勝したい」という思いからだったが、実現することなく、09年に引退した。

 その後も赤いユニフォームを脱ぐことはなく、そのままコーチとなり、15年から野村謙二郎のあとを受け、監督となった。しかし1年目は最終戦で敗れ、4位。つかみかけたCSを逃した。優勝インタビューで、この悔しさについて聞かれると「自分だけではない。選手もみな同じです」ときっぱり言い切った。

 この屈辱がチームを一つにし、緒方監督も変えた。1年目は、理想を追い求め、時にかたくななまでに自分の考えにこだわり、批判を浴びることも多かった。しかし、今季は選手とのコミュニケーションを密に取り、コーチ陣にも任せるところはしっかり任せた。ある意味、我を捨て完全に黒子に徹することで、チームをうまく回した。

 首位を走り出しても監督の采配が言及されることは少なかったが、打線につなぎの意識を植え付け、伝統の機動力野球を復活。新井貴浩らベテランの休ませ方、外国人枠を考えた起用、中継ぎだったヘーゲンズの先発転向と、動いたことがうまくはまった。それはすべて緒方監督の発想ではないかもしれないが、コーチの考えを採用するのもまた、監督の力だ。指揮官として一皮むけたことは間違いない。

 自分を変えるのは簡単ではない。不要なプライドがそれを妨げる。しかし、緒方監督にはそれはなかった。それはもともとの考え方から来るのかもしれない。現役時代、挫折のたびに思ったという。「右肩上がりの人生なんてない。苦しいときにいかに歯を食いしばって頑張れるかが、その人間の強さだ」と。故障に泣きながらもいつも全力プレーにこだわる姿勢。いま自分は何をすべきなのかと考えたとき、“自分を殺し、選手を生かす”のは簡単だった。

 リーグ優勝にも満足してはいない。まずはCSを勝ち上がり、今度は84年以来の日本一を狙う。

 寡黙な男がふたたび饒舌になる日を待ちたい。
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