昨季にベストナイン、ゴールデン・グラブ賞の2冠を獲得。打率.335、29本塁打、95打点、16盗塁の目覚ましい活躍で、25年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した広島・鈴木誠也。球界屈指の外野手はどのように研さんの日々を過ごしていたのか。広島カープ、大野寮寮長の道原裕幸さんに入団当時の思い出を語ってもらった。 取材・構成=吉見淳司、写真=BBM 夜空の下の素振り
すでに時刻は夜10時30分を過ぎている。静まり返った広島カープの二軍寮、大野寮の駐車場。誰もいないはずの暗闇の中から、ブンッ、ブンッと規則正しい音が聞こえてくる。
音の主はまだ18歳の鈴木誠也。額から汗を滴らせた若者は、いつまでもバットを振り続けていた。
「昨年の活躍は驚きではなかったですね。もともと走ることと投げることに関してはズバ抜けていました。後はバッティングだけでしたが、これは入団してからの本人の努力が実を結んだのでしょうね」
そう語るのは大野寮の寮長を務める道原裕幸さん。現役時代は捕手として1975年の広島初優勝に貢献し、引退後はコーチを兼任しながら寮長に就任。若き選手たちの“父親役”として、30年以上にわたって成長を見守ってきたチームの功労者だ。
道原さんと鈴木の出会いは2013年。ドラフト2位で入団した鈴木は当初からほかの選手とは違った何かを感じさせてくれたという。
「全体練習が終わった後にもよくバットを振っているなと感じましたね。練習量が非常に多かった。個人練習をしっかり行う選手、例えば一軍で頑張っている
丸佳浩、
安部友裕、
菊池涼介などは全員見てきましたが、みんなそうでしたね」
冒頭の光景も、寮ではおなじみのものだった。大野寮の門限は夜10時30分。「門限を過ぎたら見えるところで練習してくれ」と言われた鈴木は、隣接している室内練習場でぎりぎりまで過ごし、さらに駐車場で素振りを行っていたのだ。
「最近の選手はマシンを相手に打つことが多いのですが、誠也はそれだけでなく素振りを多くしていましたね。僕の中では、寮の中で常にバットを持ってウロウロしていたイメージがあるんですよ」
まさに肌身離さず。プロのボールに対応するために、時間さえあれば練習に励んでいたのだった。
大野寮からの巣立ち
道原さんがルーキーに口を酸っぱくして伝えているのは、「食事」「時間厳守」「あいさつ」「ファンへの対応」だ。
まず、食事。「食堂では同年代の選手とワイワイ盛り上がっていましたね。それと、食事量が多かったことを覚えています。よく食べていましたね。例えばマエケン(
前田健太、現ドジャース)などは・・・
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