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全国各地に潜む「超高校級投手」

田中瑛斗(柳ケ浦高) 元プロが認めるポテンシャル

 

取材・文=岡本朋祐、写真=上野弘明

かつては野球場だった校庭で撮影。地元・大分出身であり故郷への思いが強く、2005年春[夏は03年]以来の甲子園出場へ意欲を示している


 興味深い数字がある。第4回WBCに出場した侍ジャパン投手13人のうち、中学時代の軟式経験者が9人を占めた。個人差はあるが、硬式球とは体への負担が違うと言われている。

 田中瑛斗のライバルは明豊高・杉園大樹。小学時代、県大会準優勝を遂げた小楠ベースボールでチームメートだった。杉園は田中と同じ中津中へ進学し、硬式の京筑ボーイズへ。田中も同じ道を歩みたかったが、コーチの父・精一さんから「体ができていない。(硬式球だと)すぐにケガをする」と猛反対。家族の意見を聞いた判断は、結果的に正解だった。

 中津中では2年夏まで遊撃手専任。自分たちの代(主将)になってから「投手が一人しかいない」というチーム事情で、2番手投手となった。主戦の3年時は県大会8強。肩、ヒジを酷使することなく、中学を終えた。

 野球部引退後、高校入学までの半年間、中津市内の中学生が硬式球に慣れるための育成組織に在籍した。そこで当時、九州総合スポーツカレッジのヘッドコーチだった定岡智秋氏(元南海、福岡ダイエー二軍監督)が指導に来ていて出会った。定岡氏が3年前を回顧する。

「ヒジの使い方がスムーズで、体全体のバランスも良く、足も速い」

 高校進学に際し「野球にちゃんと、取り組みたい」と、中津市に隣接する宇佐市内の柳ケ浦高を志望。甲子園に春夏計10回出場の強豪校で心・技・体を磨きたいと考えたのだ。

 田中の入学から4カ月後の2015年8月、定岡氏は九州総合スポーツカレッジと同じ学校法人吉用学園が経営する、柳ケ浦高の監督に就任。2人は再び師弟関係となるのだ。

県3位の脚力で四番・エースの大黒柱


 入学当時は180センチ63キロの細身。素材の良さを認めていた定岡監督も「無理をさせない」と、焦らせなかった。柳ケ浦高は学校敷地内に野球部寮があり、学業と部活の両立には最高の環境だ。グラウンドまでの往復は約20分のランニング。外出が許されるのは週1回の休日の月曜のみだが、田中はその日を・・・

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